日記

2025年 20250101

ナバブロと申します。

水曜日の深夜(ていうか木曜日の早朝)今日も素晴らしい一日

2025年

水曜日の深夜

みなさま、あけましておめでとうございます。

特にこのような記事を毎度読んでいただいている方々には、

感謝をいくらお伝えしても、

すべての気持ちをお伝えできるとは思っておりません。

ではありますが、

本当にありがとうございます。

2024年も大変お世話になりました。

2025年もわたしにとって、

とんでもない飛躍の年にする所存です。

引き続き何卒よろしくお願いします。

と同時に、

あなたの2025年があなたにとって、

これまで以上の飛躍の年になることを願ってやみません。

今年も頑張りましょ。

水曜日の深夜

月日が経つのが年々早くなる

いろいろな方々と、

2024年を振り返ったり、

これからの話しをする機会が多い時期。

とにかく「月日が経つのが年々早くなる」っていう話題になることもしばしば。

昔の精神学者も言っていた気がするけれど、

この感覚というのは考えて見れば当然のこと。

たとえば

まだ生まれて1年めの赤ちゃんの「1年」という感覚と、

37歳になるわたしの「1年」と、

さらに70歳になる先輩の「1年」では、

同じような時間の感覚になるはずがないという話。

言い換えれば「生きてきた時間に対して1年間という時間が締める割合は年々小さくなるよね」って話なんだけれど、

ここまで伝わっているかな。

今で何%まできているのか

んでもってこの話をすると、

ともすると「若い時の1年の方が、重要・大切」みたいな感覚に陥りそうになることがある。

これは少し本質からは離れているのかなという気がしている。

確かに「力」や「熱」の入り方というと、

若い時代に分がありそうな気もする。

けれど長く生きていればそれだけ、

若い時では出し得なかった「味」や「空気感」というのも出せるはず。

表面的な感覚にとらわれずに、

しっかりと自分がいる場所を捉えること。

たとえば「人生の完成度を定義するのであれば、今で何%まできているのか」というような話を、

自分の中にしっかりと落としていくことが必要と考えている。

そうすれば、

体感としては年々過ぎるのか早くなっていく時間に、

翻弄されることなく、

自分がやるべきことと向き合えると思うわけだ。

こういうポイント

少し新年っぽい話題に触れることができるわけだけれど、

まぁ年が明けたからと言って、

自分が置かれている環境がリセットされるわけでもなく、

わたしが向き合うべき問題・課題というのは、

2024年の大晦日と変わらずに、

わたしの目の前にある。

けれどこういったある意味強制的に目を向けさせられる部分も含め、

こういう年末年始みたいなイベントを通して、

自分の現在地と進むべき方向を確認できることは、

とてもいいことだと思ってる。

できればこういうポイントを生活のいろんなところに、

仕組みとして持っておければいいよね。

2025年

メリハリというそこまでのものではなくても、

過ぎていった時間や、

スピードが上がって行くように感じる時間は一旦脇において、

落ち着いて眺めてみる。

こういう時間を特に今年は大切にしたいと思う。

もしもあなたも、

いいきっかけがあって「今年は飛躍の年にしたい」というような、

同じ思いがあるのであれば、

こんな感じで自分と向き合う時間を生活の折々で意識的に作ってみると、

確実に日々変わっていくあなた自身の変化に気づくことができると思う。

これって大げさではなく、

何かを決断したり物事を動かす原動力になるんだよね。

これを習慣にできれば、

1年と言わず数ヶ月で大きな変化や成長というのを、

あなたの内側に見つけていくことができる。

(これってわたしが発見したことでもなくて、昔から多くの偉人が言っていること。わたしにもその実感はあるけれど)

というような感じで、

新年一発目の日記は締めます。

2025年の年末、

あなたの人生が今よりももっとより良く、

楽しいものになっていることを願ってます。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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