about nabablog

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34歳(2022年7月現在)

「ブログ毎日更新の刑」に処されてる。

地元北海道札幌から送る元銀行員の日常。

行動と挑戦と、その思考の過程。

逃げるように銀行を辞めた過去。

あとは、札幌ローカル情報も少し。

今は完全にサラリーマンから足を洗うために、下積みしてる。

いろいろんな人と会い、信頼関係を構築する。

その途上。

まだまだ人生は良くしていける。

いつの日か「気づいたらBurningManに来てた」って言いたい。

以上。

 

ここから先は、少し興味が出た方向け。

わたしの自己紹介をする。

自分自身の整理の意味合いが大きい。

なかなかこういう機会に恵まれることも少ない。

・わたしのルーツ

・これまでと現状

・これから考えていること

という感じで、書いていく。

わたしのルーツ

まずは、わたしのルーツに関して書いていく。

生まれた環境

わたしは1988年に、キリスト教(プロテスタント)の牧師の家庭に生まれた。

姉、わたし、弟の三人姉弟の長男。

函館生まれ、札幌育ちの「道産子」だ。

日本人として「クリスチャンの家庭」というか親父が「牧師」「宗教家」であるというのは、

どうやら特殊なようだ。

幼いときから世話になっている大人は、

みんな教会に通うクリスチャン。

幼馴染の親友もクリスチャン。

そういった意味でキリスト教の純度が高い幼少時代を過ごした。

わたしは中学一年のとき、洗礼を受けた。

現状がどのようなものであるにしろ、

わたしと言う人間を語る上で、

「キリスト教」というバックボーンは避けて通れない。

大切な判断や、

直感的な判断をするとき、

言語化できない部分でも「キリスト教」的な何かが反射的に働いているように感じることもある。

まあそんな感じ。

「宗教」というテーマだけでも、

かなり語ることはできるので、

またの機会にまとめようと思う。

パンクロックとハードコア

そんなクリスチャンの家庭で育った、

少年バナナはキリスト教系の幼稚園に通った。

ここはここで「かなり濃い」体験をさせてもらった。

今、考えても思う(これもまたの機会に)

少年バナナも小学生になる。

思い返すと、その辺から、かっこよく言えば戦いと葛藤の日々が始まる。

小学校になると、

宗教的な意味で「一般的な日本人の家庭」の友達と時間を過ごすことが多くなる。

そこで気づく。

「あれ?わたしの家はなんか変なのかな?他と違うのかな?」

幸いわたしの場合、

「家がキリスト教」という理由で、

直接的ないじめを受けるようなことはほとんどなかった。

ただし、

友人の何気ない言葉できずつくこともあったし

なんとなく「居心地の悪さ」みたいなものを感じてはいた。

そして、

それは思いのほか自分の中で大きくなっていき、

外から見てどうだったかはわからないが自分にとっては大問題となっていった。

そんななか、

中学生になった少年は、衝撃の出会いをする。

「パンクロック」との出会いだった。

ブルーハーツを聴いて、

友達とバンドを始めた。

なんとなく感じていた「居心地の悪さ」に対し、

逆に「居場所を見つけた」ような感覚があって、

のめり込んだ。

いくつかバンドを経験するが、

結局30歳になるまで、

パンクロックとハードコアが生活の重要度の大きなところを占めていた。

これまでと現状

ここから、

ここ数年と現状について書いていく。

社会人銀行員

地元の大学を卒業して、

地元の地方銀行に就職した。

正直なところ、

自分が会社で働くということは、

あまりピンと来ていなかった。

就職活動は小手先で進めた。

もともとテスト勉強的なことは、

それほど苦手ではなかった。

だからわたしの就職活動は、

自分の将来について真剣に考えるというより、

ただの「傾向と対策」だった。

たとえば、

銀行のようなところに入ろうと思えば、

繰り出される質問は大体同じ。

求められる人物像を想定することも、

難しいことではない。

「明るくて元気だけど根は真面目」みたいなキャラを演じることができれば、ほぼ合格点。

あとは少しの時の運。

こんな感じで銀行に入った。

それが理由かはわからないが、入ってからは苦労した。

「肌にあわないとはこういうことなんだ」と実感した。

銀行時代のことは、

個別の記事でも書いているので気になる方はどうぞ。

メニューから→「#銀行辞めた

6年半くらい銀行に勤め、転職を決めた。

転職と気づき

「転職する」という決断は、

以降のわたしの人生にプラスの効果をもたらす。

大げさな話ではなく、

始めて自分の意思で深く考え、

「銀行を辞める」という決断をした体験が自信につながった。

銀行の寮を出ての一人暮らしは、

もちろん不安もあったが。

ただ、なんとか行動しているうちに、

それまでの「甘え」が少しずつなくなっていくようだった。

打算もあって、

わたしは「金融機関向けシステムベンダー」に転職した。

仕事の内容や文化は

銀行よりは私に合っているようだ。

毎日、実に楽しく仕事をさせてもらっている。

一方で転職によって、

「改善する部分」と「サラリーマンである限りあまり変わらない部分」というのが、よくわかってきた。

生活全体としては、

ポジティブに物事を考え、

新しいことに挑戦し行動をするようになった。

転職して数年立たち「副業」や「独立」について、

考える時間が増えた。

ライフスタイルや時間の使い方を変えることに改善を継続した。

主体的に判断し、

行動を選択することで、

見える世界がまるで変わるということがわかってきた。

日々、多くのことを学ばせてもらい、気づきがある。

そして、

より良い人生を送るには、

さらにライフスタイルを根っこのところから変える必要があると気づいた。

三十代も半ば。

この気づきは決して早いとは言えない。

ただし、

おそらくまだ時間は十分あるし、

今の自分の環境から考えてもまだまだ新しいことに挑戦できる。

これから考えていること

最後に、

これから考えていることについて書いておく。

自分のこと

まず、

今考えていること。

それは「ライフスタイル」を根っこから変えること。

わかりやすいところでいえば、

「サラリーマン」からの軸足を抜くこと。

転職してわかったことは、

「サラリーマン」はどこまでいっても「サラリーマン」であるということ。

もちろん「サラリーマン」として生きることを選択することは、素晴らしいことであるし、メリットがる。

一方で、

経済的自由のみならず、

時間的自由について考えると「サラリーマン」であるがゆえに制限されることが多いのは事実。

このあたりのバランスについて、

自分の価値観に照らし合わせて考えた結果、

「サラリーマン」から軸足を抜くことを目指し行動をしている。

当面の目標は、

サラリーマンの収入以上の収入の柱を、

作りあげること。

今はこれをやっている。

その仕組み作りを、

コツコツやっている。

結構、地味な毎日だ。

周囲へのこと

そして、

周囲へのこと。

「サラリーマン」として、

他者に与えることできる価値について考えた。

もちろん、これも素晴らしいこと。

ただし、

そこには最後まで「会社」というフィルターがあるし、

ある意味での限界もある。

もっと直接的に他者に価値を提供しているという、

実感を事実を愚直に求めたいと考えている。

シンプルに(エゴかもしれないが)

「ありがとう」ともっと、言われる生活にしたい。

必ずしも「ありがとう」がないとしても、

深いところで相手に共感し、

「与える」ことができる人間になりたいと思い始めた。

わたし自身、

多くの人の出会いや、

その中で与えられた機会によって今充実した毎日を送っている。

わたしの存在が、

誰かにとってのそんなきっかけになることができれば、

うれしい。

最近はこんなことを考えている。

This is BLOG.

こんな感じのことを

毎日つづるのがこのブログ。

ほぼ日記。

少し長い目でみて、

ここにわたしの変化と成長を言うものを残すことができれば、

きっと誰かが行動を起こすことの後押しをすることは、できるのではと思っている。

だからこそ、

カッコつけずに、

ありのままで書き続ける。

何卒、よろしくお願いいたします。

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2020年3月1日

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