ナバブロと申します。
水曜日の夕方。今日も素晴らしい一日
陰謀論

水曜日の夕方
ここのところは個人的には「陰謀論」ブーム。
正直なところ、私は「陰謀論」という言葉のチョイスがあまりよろしくないと思っている派。
よく日本人が「投資」や「借金」というキーワードにアレルギー反応を起こすのと基本的に構造同じで、さらに「陰謀」というワードの強さが、今の空気感を作っていると思っている。
「ついに行くところまでいったなー」と思っている方もいるかもしれないけれど、
まぁそもそも「結構イッちゃっている」自覚はあるので、気にせず少しこのまま書いてみる。
水曜日の夕方
陰謀論
つまるところは「自分が触れる情報」をどう捉えるのかという話。結論としては「自分で考えることの重要性」や「思考停止のヤバさ」につながる。
では「陰謀論」というものを、わたしがどう捉えているのかというと
・結果が出ていない限り「ある」とも「ない」とも言えない
・「ぶっ飛んでいるもの」と「それはある程度確からしい」と「ぶっ飛んでいるけれど、論理的に考えると、確かにそうだよねと言えるもの」が、混在している
・個人的に「そういう世界のほうがおもしろいよね」って思うことはそこに溢れている
って感じ。結構雑に書いたけれど。
あとひとつ考えたほうが良いなと思うことを書くのだけれど、
・たとえばあなたが、TVや新聞のニュースを正しい情報として、行動の指針として採用するとする
・そして一方でなぜ、それ以外の情報源の一つである、たとえば「陰謀論」を正しくない情報として排除するのか
ってことだ。
言ってしまうと、
その「TVや新聞のニュース」すら正しいというだけの材料、根拠をあなたが持っているのかってことが問われている。
もう少し言えば、それを「常に正しい」ってことにするなら、その「ニュース」を恣意的に捻じ曲げられた瞬間に、もうお手上げって話になる(←この辺がすでに「陰謀論」的な論理展開かなw)
そういう意味でニュートラルな視点で情報を収集し、しっかり自分の基準やものさし、そして根拠を持って情報を取捨選択して生きていくこと。
その重要性をここのところ強く感じている(この日記ではその部分を書きたかったのだけれど、伝わっているのか…w)
「雑食」で「興味があるものを掘り下げる」
んでさっき書いた結論に向かいたい。
「自分で考えることの重要性」や「思考停止のヤバさ」って言うのは、あえてわたしがここで書かなくても、みんなイメージ出来ると思う。
わたしたちが口にする「常識」や「普通」というものの背景に、
誰のどんな思惑があるのかを、
少しだけ疑ってみるというか、
どんな立場からでも、
まずはしっかり眺めて見ることが大切だ。
そんななか基本的はスタンスとしては、
そこまで方に力を入れすぎることはなく
「雑食」で「興味があるものを掘り下げる」
ってことで良いかなーと思っている。
「知らない」→「怖い」→「手にも取らない」というループには入りやすいものだけれど、
それだとやっぱり
「気づいたときにはどうにもならない\(^o^)/オワタ」
という未来が来るのはそう遠くはない気がする。
あなたの身の回りで起きていること。
それをしっかり自分の目で見て、
一度あなたのものさしで測ってみる。
これで見える世界っていうのは徐々に、
ときには結構急激なスピードで、
変わっていったりする。
今日はそんな感じ。
ピース。
世界平和。
ではまた。