日記

「生かされている」という実感 20250805

ナバブロと申します。

火曜日の夕方。今日も素晴らしい一日

「生かされている」という実感

火曜日の夕方

最近、ぶん投げしてるこのブログ。

まぁ考えることもあり、

ここから辺で少し巻き直しをしていく。

この日記(?)も気にかけていて見てくれる方は、

意外と多く、まずは元気にやっているということは、

お伝えてしたい。

感謝。

火曜日の夕方

津波の警報

そういえば先週函館にいった。

一泊二日の旅行だったのだけれど、

二日目の朝ホテルで出かける準備をしていた。

するとドアをノックされた。

(「なんだろ?」)

とりあえず鍵を開けて部屋のドアを開ける。

するとちょっとシリアスな感じの顔をしたホテルの従業員が立っている。

「津波の警報が出ているので、すぐに避難してください」とのこと。

(「えーまじかー。今日帰れるのかなー笑」)

カムチャッカ半島の地震によって、

日本の太平洋側で津波の警報と避難指示が出ている。

わたしが宿泊していたのは、

ちょうど港の横の金森倉庫。

少し考えてみればやっぱり万が一を想定して動く必要がありそうだ。

ホテルからでてみると、

確かにものものしいサイレンが鳴っている。

人通りがない金森倉庫の一帯。

車はまばらに走ってはいる。

ホテルの従業員に先導され、

ホテルの建屋から数百メートルにある、

市の施設(確か水道局)に移動した。

避難所

なんせ避難所に行くなんて、

始めての体験だったので、

不謹慎ではあるのだけれど少しだけ興味が出ている自分もどこかにいる。

その避難所がどんなところかといえば、

その市の施設の会議室のフロアを解放しただけのもの。

まぁこんなものだよなぁという感想。

確かに昔テレビの画面ごしで見ていた図はこんな感じだった。

幸いスマホで随時情報は取得できる状況にあり、

函館の影響は少ないと判断できる状況にあった。

数時間、避難所で待機して移動を開始することにする。

避難所にいたホテルの従業員に話をすると、

思ったよりもスムーズにことは進んだ。

ホテルに荷物を取りに戻り、

そこから車で札幌に向かう。

小樽経由で帰路に

もともと高速道路を利用するつもりはなかったのだけれど、とはいえ噴火湾沿いを走る高速道路は通行止めの情報が出ていた。

その上でも念には念を入れ、

いったん日本海側に出てから小樽経由で帰路につくことにした。

出発したときには、

周辺のコンビニや飲食店には臨時休業の張り紙がしてあった。

どこのまでこの状況だろうなぁなんてことを考えながら、少し走ると、なんというか結構日常に近い函館の市内の風景になる。

この状況からすれば、まぁ一安心。

とりあえず朝から何も飲み食いをしたいなかったので、

開店していたハセストで焼き鳥弁当を食べた。

ルート変更したことで通りかかった牧場でソフトクリームを食べ、

夕食は寿都のイケてる居酒屋さんでいただいた。

ここら辺になると正直ただのドライブ感覚。

ありがたいということではないが、

普段ならなかなかできない体験をできたことは確か。

「生かされている」という実感

帰りの道中、過去のいろいろな震災や津波のことを考えたりした。

今回はたまたま運が良かった(悪かったとも言える?)だけだけれど、

当たり前の日常の尊さに目を向ける良い機会だとは感じる。

「まさか、自分や自分の大切な人が…」ってことを想定している人は決して多くはない。

言ってしまえば今回も気づいた時点で、

数メートルという津波がわたしのところに来ていれば、

わたしはどうなっていたのかはわからない。

まぁ本当に自分の手に負えない状況と向き合うこともこの先あるだろうが、

一方では、これを心配したり不安を感じすぎて、

行動できないことのリスクにつても考えたりした。

自分の影響を与えられる範囲をしっかり認識して、

そこに冷静にしっかり時間と手間をかけること。

どこまでいっても、

どんな事象と向き合っても、

この重要性はかわらないかな…なんてことも考えたりした。

不思議といえば不思議な体験。

絶妙なタイミングで、

「生きている」というか、

「生かされている」という実感が湧く時間だった。

少し時間は立ってしまったけれど、

今回の一連の地震と津波で、

被害に遭われた方や影響があった皆様が、

いち早く安心して生活を取り戻せますように。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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