日記

2026年 20260106

ナバブロと申します。

火曜日の朝。今日も素晴らしい一日

2026年

火曜日の朝

新年あけましておめでとうございます。

年末年始にかこつけて、いろいろなことを言い訳に、完全に更新が途絶えていますが、わたしは元気。

相変わらず文章は書いてはいるのだけれど、このブログに書くべきこと、書けることというのがどんなものかなーと考えているうちに時間が過ぎる笑

とはいえ、そもそも自分と向き合うことをベースに、そこに書いた文章が誰かの目に止まったときに、何かを考えることや行動のきっかけが生まれること。

それは大切にしていきたいと今年も思っている。

2026年も変わらず、思いつくままに書いていく。

火曜日の朝

2025年

2025年は特に、これまでの人生の総括というか「あーここに戻ってくるんだねー」ということを感じる年だった。

牧師の息子として生まれ、少し理解されずらい環境で、いろいろものを考えてきた(まぁとはいえ、色々な人の話を効く限り、それぞれ違う世界を見ているということに関して、自分を特別扱いするつもりはない)

宗教や概念的なことに触れて、そこから科学的や数学で説明される世界観に興味対象は移ってきた。そこから相対性理論や、量子力学にへの興味から「世界のゆらぎ」みたいはことが科学的に説明されることに、脳汁がドバドバ出る。そんな時間を経た。

量子力学の結論の一つとして「これってブッダが数千年前に分かっていたことだよね」ってことから、仏教への興味も湧く。自分が想定していた「物理空間」という世界は、さらのその外側に広がる「情報空間」の一部でしかない…なんてところにまでもたどり着いた。

現実離れしている感覚だけれど、そこから色んな経営者や投資家と話をしているうちに、その世界観を前提として生きている人がここまで多いのだということを体験する毎日。

気づけば自ら少し距離を取った宗教感のある世界感に引き戻される感覚。

新しい年の冒頭の文章としては、胃もたれする内容だけれど、2025年の私の思考の経過はだいたいこんな感じ。

ネタの宝庫みたいな毎日

書くのには事欠かないネタの宝庫みたいな毎日を過ごしている。楽しすぎてアウトプットを忘れている。

最近会話した人であれば、わたしのこの感じを理解できているかもしれないけれど、この辺を記事に収めていくには、限界がある(時間と体力的)のでまたぜひあったときにでもゆっくり話をしたい。

ブログ以外でもこのあたりを整理しているところはあるので、今年は形にしてお披露目はする予定。

2026年

こんな感じで2026年も継続をしていく。40回近く年を越せば、たとえば「新年の抱負」みたいなことが、持つ力感と一方での儚さみたいなみたいなことは重々承知している。

何か劇的なきっかけみたいなことを探したくなる気持ちはわかるけれど、特に自分にとっては、こういった一時的な高揚感がそれほど効果性と実効性を備えたものではないという実感がある。

日々、一日一日を積み重ねる。

これ以外に選択肢はない。

今日という一日が大晦日だろうと、元旦だろうと、なんともない平日であろうとも、今日という一日が自分にとって限られた人生の一日であることには変わりがない。

設定した未来から逆算される現在、そして過去。

そのつながりを意識しつつ、今日も一日を始められることに感謝を持って出かける。

「感謝」「ありがとう」の反対は「あたり前」

「情報空間」や「空」の概念を前提とするなら、今わたしがこうしてものを考え、記事を書いていることすら、「存在しているとも言えるし、存在していないとも言える」

そんなことが思い浮かべば、今自分の目の前にある感覚が「当たり前」であるわけはなく「有り難い」現象であることは、間違いない。

こんな実感をしっかりと土台に据えて、今年も地に足をつけて、やりたいこと、やるべきことだけをやり続ける。

みなさまもどうか素晴らしい一年をお過ごしください。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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