日記

本来あるべき姿20241029

ナバブロと申します。

火曜日の深夜。今日も素晴らしい一日

本来あるべき姿

火曜日の深夜

流石に生活のリズムを整えなければと考えている今日この頃。

外に出かければ情報のインプットや刺激も受けることができるけれど、

少し意識をして自分一人の時間を作ることの重要性に改めて気づいている。

一日のルーティンを見直すことや、

いろいろとやるべきことを思い巡らすこと。

こういう時間を蔑ろにすれば、

自然とその歪が生活全体にも出てくる。

どんな時も意識をしておきたいこと。

火曜日の深夜

自分のルーツ

前回の日記で家族のことを書いたのだけれど、

今日の「7つの習慣」の箇所も家族に関連する内容だった。

これに関して書くとすれば、

いろいろな想いを書くことはできるのだけれど、

たとえば「自分のルーツ」や「本来あるべき姿」を考えていく上で、

この存在が重要となるってことの実感。

ここのところではこれがまずは思い浮かぶ。

自分が何を幸せと感じるのか

何を自分のゴールにするのか。

何が自分の幸せであるのか。

このテーマに関して考え続けるわけだけれど、

ここで「自分のルーツ」や「本来あるべき姿」の解像度を上げておくのが大切になる。

つまり「自分が何を幸せと感じるのか」っていう話になるのだけれど、

これは本当に人それぞれだ。

幸せの話や価値観の話をなんとなーく避けている人も多いとは思うけれど、

このテーマと向き合うのは、

人生の時点に置いて早ければ早いほど良い…と

個人的には思っている。

少し特殊な感覚

それでわたしにとって「本来あるべき姿」ってことを考え始めたりする。

どうやら日本においては「キリスト教の家庭に育つ」というのが少し特殊な環境と言えるようで、

わたしのバックボーンを掘り下げて行くと、

周囲の人と話をしているうえでちょっとしたズレのようなものを感じる瞬間というのが多いようだ。

なかなか言語化が難しいんだけれど、

世間一般的には良しとされていることが、

自分の肌になじまないってことが生活の折々で、

今となっては意識することもないレベルで感じていたりする。

この事実自体には、

いろいろな価値観、幸せのカタチがある前提で、

良いも悪いもないのだけれど、

つまるところ「自分が気持ちがいいな」と感じるという点において、

少し特殊な感覚を持っているということが言えるようだ(←なぜこんな他人事として書いているのかわからないが、これがまぁ実感)

本来あるべき姿

まだまだわたし自身の「本来あるべき姿」っていうのは言語化ができるレベルではないけれど、

わたしの現状とのギャップがあるのは事実。

日々感じるちょっとした違和感を認識し、

受け止め、可能であればそのギャップを感じる原因の探求はやめずにいきたいと思う。

そのうちに「本来あるべき姿」というのが、

今よりも立体的に鮮明に見えていうることだけは分かっているので、

このテーマとは引き続きじっくり向き合っていこうと考えている。

こんなことを考えるきっかけを与えてくれる家族に感謝。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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