ナバブロと申します。
土曜日の昼。今日も素晴らしい一日
「ちょっとアレ」な感じ

土曜日の昼
今週、お世話になっている沖縄の友人の下に出かけてきた。
引き続きいろいろと考えるべきことはある。
物理的に普段の生活とは離れた場所で、あの空気(訪れたことがある人には分かるはず)をいっぱいに吸いながら、あれやこれやと思い巡らしてみる。
当然「思い巡らす」ってことだけでは、1mmも前にも後ろにも進まないことはわかっている。
けれど、いつもとは違う開放的な場所で目の前の問題を眺めて見ると、それだけでも少し違う視点から物事を眺められるようになるので不思議。
できれば日常の中でも、こういう感じで物事を眺められるように、いえばトレーニングをしておく必要があるのかもね。
土曜日の昼
偏食
移動も多いので、いろいろな本を「偏食」してる(最近は特にこの傾向に拍車がかかってきた…笑)
宗教(主に仏教に関すること)や革命家(エルネスト・チェ・ゲバラ)の本を読み進めていたり、あとはクラシックだけれど『夜と霧』も今更ながら拝読した。
沖縄の海でシーカヤックに乗って「全ては空である」とか連呼して、一緒に行った友達や沖縄で迎えてくれた友人は呆れていた。
「具体と抽象」というのは、ここ数年の自分のテーマとするところだけれど「抽象度の高い視点を持つことはどのようなことか」ってことを、ここのところの名著との出会いや人間関係の中で特に問われている気がする。
物理空間
この話をすると、だいたい「なーんか〇〇じみてて、気持ちが悪い」「小難しい話をしてるよねぇ」と失笑されることも多い。
だけれど、幸いなことにこんな話を面白がってくれる「変態」が、実は周囲に意外と多く存在する世界に感謝している。
あくまでも個人的な意見だけれど、
具体的なモノを良しとして
抽象的なモノを悪しとする
そんな感じの風潮が存在すると感じる。
当然、わたしたちは極めて具体的な「物理空間」を生きていると言える。
何かを知覚するということの前提には、この「物理空間」がある(と思って生きている(笑)←気持ち悪いでしょ?)
最近のわたしの興味は、その「物理空間」を包含する「情報空間」と呼ばれる概念(めっちゃ抽象的な何だけれど、大好き!)
「偏食」でありながらも、いろいろな素材を噛み砕いていくと結局はここに落ち着く気がしている(←あくまでも個人の意見・考えとして、読み進める方はどうぞよろしく!)
情報空間
いきなりの情報量の多さと、抽象的な話で、ここらへんで大体の方は脱落すると思われる。
個人的な日記・書き物につき、基本は書くことによるわたしの頭の整理と記録なのでその点はご勘弁。
んで続ける。
「物理空間」を包含する「情報空間」とは何か。
これは「心」と呼ばれるものや、少しだけ具体性をあげると「脳」の働きの話にもなってくる。
たとえば、
①わたしたちが「モノを見たり」「モノを触ったりする」
②それが電気信号となって、体の各部位から「脳」に伝わる
③その電気信号を「脳」が「解釈」(言語分野の要素も、非言語の要素もある)をする
④その情報基づいてわたしたちは、なんらかの判断を下し、場合によっては行動を起こす…
というようなことを日々わたしたちは体験する。
あたりまえのことのようだけれど、
「ん?いや待てよ…」って気づくことがある。
それはプロセスに②、③が含まれている限り、
「わたしは現実を正しく認識出来ていると断言できない」ってことだ(②、③が常に正しい動作をするとは限らないから)
もう少し言えば
①が存在せずとも、②と③を作り出してしまえば…わたしたちは「そこに現実がなくとも、さも現実がそこにあるように感じる」ってことだ(←映画マトリックス的感覚)
結論までがなまら長くなったけれど、この特に③が「情報空間」が司っている領域。
この領域に「概念」や、理解・解釈するための「言語」、「心」と呼ばれるその機能が詰まっている。
もう少し言えば「物理空間」(たとえば宇宙を貫く物理法則や、量子力学や、更にそれの上を行く法則)ですら、この「情報空間」の一部といえる。
これがまぁざっくり私がここで言っている「情報空間」
「ちょっとアレ」な感じ
このあたりの話はいくらでも発散するけれど、ここいらでなんとかまとめに向かってみる。
たとえば、さっきわたしが超絶乱暴に提示した概念・世界観は、世にいう「常識」(って言葉はそもそもあんまり好きではないw)からすれば「ちょっとアレ」な感じがすることは理解する。
けれど実際に②と③のプロセスを、しっかり自分の「幸せ」というものにフォーカスして、ある意味書き換えができれば、文字通り見える世界や体験そのものを変えることができるという理屈になる。
またここまで飛躍した話は正直受け付けない…という人(わたしは「物理空間」だけでもしっかり生きていきます!)でもご安心を。
こんな感じで「抽象度をあげた視点でものごとをみてみること」自体が実生活でも役に立ってくる。
問題の本質にたどり着くまでの時間の短縮化と、効果的な解決策を見つけることが望めるからだ。
いきなりサラッと書きすぎてワケはわからんと思うけど(笑)
ちなみにここでのキーワードは「抽象度を上げて、ものごとを統合的に物事を捉えること」(←気が向いたらこのテーマでも書く)
このあたりを突き詰めていくと、ブッダのいう「全ては空である」って感覚がなんとなーく分かってくるんだけれど、そろそろ本当にお腹がいっぱいだと思うのでマジで今日はこのくらいにしておきます。
やっぱり日記を書く感覚が開くと、
いっぱい詰め込みすぎるので良くないね。
シンプルに消化に悪い。
時間がある方はゆっくりお話しましょう。
基本、人とお会いするときは「聞き専」を心がけてるので、いきなり「宗教」とか「情報空間」とか抽象的な話はこちらからはしないように気を付けているのでご安心を。
ピース。
世界平和。
ではまた。