ナバブロと申します。
火曜日の夜。今日も素晴らしい一日。
生存戦略上不可欠
火曜日の夜
いろいろあるような気もするけれど、
けっこうどうでも良いようなことばかりの気もしてきたりw
いってしまえば大切なことというのは、
それほど多くはないってことは体験としてわかっているし、
そこだけしっかり見極めることができるのであれば、
そんなに大きく間違えることもない。
精神的なバイオリズムとは別に、
こういう感じで自分の着地できる場所があれば、
だいたい大丈夫。
しっかり踏み切りたいときに、
足場はしっかりしていないとね。
火曜日の夜
精神的なバイオリズム
自分自身と向き合う時間。
ただし一歩外に出たり、
そうとはしなくともスマホを手に取れば
他者との関係性の中になる自分の時間。
この2つの時間を行き来していることに気がつく。
どっちがいいという話ではなくて、
どっちも必要であるし、
更に自分の人生をより良いものにしようと考えれば、
他者との良好な協力関係というのも必須条件になるのもわかる。
ただしこのバランスや配分というのを、
少し違えると、
精神的なバイオリズムが大きく崩れたりもする。
このあたりはまさに、
力加減とバランス感覚も必要になるのも、
わかっているんだけれど、
いつも落ちきってから気づいたりもするのが、
「自分」っていうか「人間」なのかなと思ったりもする。
生存戦略上不可欠
ここのところ、
視野が広がったとはいえないまでも、
自分自身のバイオリズムだけではなく、
他者のバイオリズムにも目が向くようになってきた。
んで、よく「一緒に飲んでいる相手がベロベロによっぱらうと、自分は酔えない」なんてことが言われたりもすするけれど、
これは精神的なバイオリズムにも同じようなことが言えるかなという考えに至った。
これは自分が落ち込んでいるときでも、
他者がしっかりしてくれて、
それに助けられるみたいなことも起きる。
これを考えているとやはり「仲間」や「チーム」というものが、
他者と自分の関係性においてもそうだし、
わたし個人として考えても、
生存戦略上不可欠ということがわかってくる。
依存先を増やす
「依存先を増やすってことが大切だよね」って、
いわれることが多い。
ここには
「人間は誰しも何かに依存するものだ」という前提があって、
依存先が多ければ、
次に次にと飛び石をわたるように生きることができる。
これはこれでアリな考え方だなと思う。
日常からこういう居場所をたくさん作っておくことや、
平たく言えばすぐに隣にいる人を大切にするとか、
こういうことの積み重ねがあとあと聞いてくる。
原理原則
とはいえここもバランスが大切だと思う。
何かに依存をする以上、
究極的な安定性を見つけることはできない。
保険もかければいいと言うわけではないのと同じ。
自分自身の中心に、
変わらない軸を持っておくこと。
その軸も自分自身で見つけたものというよりは、
変わらない「原理原則」的なものにおく。
なーんか宗教的?な臭いもするところだけれど、
「原理原則」っていうのは、
「誰でも頷ける」「誰でもそうだよねと同意できる」ってことなのであまり距離を置く必要はないw
たとえば「持っているスマホを話したら、下に落ちるよね(万有引力の法則)」みたいなこと。
こういうことを拠り所にしているうちは、
そう道を違えることはない。
ただしこれも抽象度の高いことを、
具体的な眼の前のタスクに落とすっていう技術が必要になったりするので、
そういうときはすぐに飛び移れる依存先がいくつかあればバランスがとれるよねっていう話。
(伝わってるのかーwww)
深夜のテンションってこんな感じ。
現場からは以上です。
読んでいただきありがとうございます。
ピース。
世界平和。
ではまた。