・・・もちろんある。それも、このブログ記事にたどりつくようなあなたには、まさにピッタリの絵本。テーマはズバリ「与えるしあわせ」について。「絵本」は時にこども以上に、おとなにささる。「シンプル」に描かれる分「本質」が手に取りやすい形になっていることが多い。
そんな中でも、今のあなたに深くささるであろう一冊を紹介する。
この記事はこうまとめる。
・「与える」しあわせ【おすすめ絵本:大きな木】
・「大きな木」はしあわせだったのか
・「豊かさ」の範囲をどこに定めるか
・「無償の愛」のイメージとはすこし違う
わたしは元銀行員のサラリーマン投資家。
転職したり、ルーティンを磨いたり、、、毎日楽しくやっている。
最近「資産構築」に真面目に取り組んでいる。
すると不思議なことが起きてくる。
「お金」について考えていたはずが、いつの間にか「他者にどういう価値を与えられるか」なんてことを考え始め、ついには「人格」「しあわせ」についての話をしている。
なんとなく「自己啓発」の分野(お得意のな!!!!)と重なってきた。
それで本を読むこともあるのだけれど、時には「絵本」が「深くささる」という経験をする。
いろいろ難しく書かれるよりも、シンプルに本質だけ「ドーン」とぶつけられる感じがいい。
例えば「しあわせとは何か」
この問いは「どんな人生を生きるか」「どんな人になりたいか」を考える上でも重要。
こういったテーマは何冊かビジネス書を読むよりも、絵本から学んだほうが効果的かも。
この記事ではそんな絵本の中でも、衝撃を受けた一冊を紹介する。
『大きな木』という絵本。
英語のタイトルは『The Giving Tree』
ではどうぞ。
Contents
「与える」しあわせ【おすすめ絵本:大きな木】
本記事の内容
◎「与える」しあわせ【おすすめ絵本:大きな木】
◎「大きな木」はしあわせだったのか
◎「豊かさ」の範囲をどこに定めるか
◎「無償の愛」のイメージとはすこし違う
◎まとめ
「与える」しあわせ【おすすめ絵本:大きな木】
絵本の細かい内容に関しては割愛する。
(下の方にYouTubeでリンクを貼っておく。先に見るのでもいいかも。おすすめは英語のアニメーションバージョン)
ザクッと内容を書くとこんな感じ。
・「大きな木」と「少年」が登場する。
・「大きな木」は、常に「少年」の為に与え続ける。
・「大きな木」は、木の実、枝、幹まで「少年」に差し出す。
・「大きな木」は、身を削りながら「少年」に最後まで寄り添う。
・果たして本当に「大きな木」はうれしかったのか(問いかけ)
以上。
これだけでも、熱いものがこみ上げてくる(泣)
わたしに子どもができたら、ぜひ読み聞かせしたい。
(全然そんな予定も、見通しもないけどな!!!!←いきなりの感情の高ぶり)
「大きな木」はしあわせだったのか
「大きな木」は「少年」に与え続け、その都度「大きな木はうれしかった」という描写がある。
少し違和感を感じて、ふと考える。
なんで「与える」→「うれしい」ってロジックになるんだっけ?
なんとなくわかる気はするが、よくよく考えてみるとちょっと変だ。
多分「大きな木」はその答えを持っている。
そして、
はたして本当に「大きな木」はしあわせだったのか。
絵本の後半で、あなたに投げかけられる問い。
この絵本を開いた「おとな」のわたしは、じっくり考え始めた。
「・・・・・(よくわからんぞこれは、、、)」
「こども」向けの絵本だと思って、なめてかかってすみません。
おそらく、この答えには正解も不正解もない。
ただ、この問いにどう答えるかで、今、わたしやあなたが「しあわせ」をどうとらえているかに近づけそうではある。
考えを整理してみる。
「豊かさ」の範囲をどこに定めるか
ある考えに至った。
「豊かさ」の範囲をどこに定めるか。
これが「与える」→「うれしい」のロジックのポイントになる。
つまり「自分の取り分/相手の取り分」という世界観では「与える」→「うれしい」は成り立たない。
まずは「自分が与えれば、自分が損をする」という発想から抜け出すのだ。
おそらく「繁栄」や「成功」といった「豊かさ」の範囲を「自分個人」や「特定の組織/集団」に限定しつづけるなら、この本の言わんとするところ(「大きな木」の気持ち)の理解はできない。
「大きな木」は自分と他者の垣根を取っ払って、相手と向きあい続けた。
「大きな木」のしあわせは「少年」のしあわせと同居していた。
だから「与える」たび「大きな木」はうれしい気持ちになった。
「大きな木」からすれば「犠牲を払っている」なんて意識すらしていないのかも。
一方のわたしは普段、ほとんど無意識といえるうちに「自分の取り分」と「他者の取り分」を計算して生きていることに気づく。
なかなかエグい現実だ。
まだまだ「大きな木」の境地には足元にも及ばない。
この現実には落胆する。
ただ、せっかくこんな気づきを得られたのだから、ここから少しずつでも視点を変えてみる。
「無償の愛」のイメージとはすこし違う
『大きな木』のストーリーを「無償の愛」と表現する人も多い。
ただ、わたしはこの絵本に対し「無償の愛」のイメージとは、すこし違う印象を持っている。
「見返りを求めなかった」「対価を求めなかった」のはそのとおり。
ただし「大きな木」は与えるごとに、たしかな「しあわせ」を手にしていた。
これがわたしがこの絵本に対し「無償の愛」のイメージとは、少し違う印象を持っている理由。
「大きな木」が「自己犠牲的に与え続けた」という話ではなく、そこには「Win−Win」が実現している。
目を向けるべきは、その前提は「自分と他者の垣根を取っ払う」という世界観があるということ。
ここで少し考えて見てほしい。
あなたがこの絵本を他者に紹介するとすれば、どのような説明をするだろうか。
『大きな木』のストーリーをどう説明するかで、あなたが今持っている世界観がわかる。
・「与え続け、失い、最後は切り株になってしまった不幸な木の物語」と説明するか。
・「与え続け、豊かさを生み、切り株になっても与え続けた幸福な木の物語」と説明するか。
・もしくは「幸福な木と少年の物語」と説明できるかも。
あなたなら、この絵本をどのような説明をするだろうか。
まとめ
「与える」しあわせ【おすすめ絵本:大きな木】
◎「与える」しあわせ【おすすめ絵本:大きな木】
詳細は実際の「絵本」か「YouTube」でチェックして!(リンクは下に貼ってます!)
◎「大きな木」はしあわせだったのか
この問いと向き合うことで、あなたが今「しあわせ」をどうとらえているかがわかってくる
◎「豊かさ」の範囲をどこに定めるか
「与える」→「うれしい」のロジックのポイントを整理する
◎「無償の愛」のイメージとはすこし違う
「自己犠牲的」ではなく「Win−Win」が実現している
わたしも、誰かの犠牲に上に生かされていることに気付く。
今は「少年」かもしれない。
それでも、わたしもいつか「大きな木」の境地に至りたい。
「与えるかどうか」は、あなたの影響の範囲。
相手があなたに「与えてくれるかどうか」はわからない。
ただし、あなたが「与えるかどうか」は選択できる。
だから「与える」ことが、あなたがしあわせになるための具体的なアクションになりうる。
切り株になった「大きな木」が、そうおしえてくれてる。
そんな絵本です。
【YouTube 大きな木(The Giving Tree)英語バージョン(アニメーション/日本語字幕付き)】
【YouTube 大きな木 日本語バージョン(日本語版読み聞かせ)】
ではまた。
ピース。