nabablog と申します。
この記事は
「影響の輪に新しい目線をくわえる」ってことで、
以前、書いた「影響の輪に注目する」という記事にわたしなりのアップデートを加えた記事。
「感情に支配されてしまう」
「最近、軸がブレブレだ」
そんなあなた(最近のわたしそのもの!)に捧げる。
では、どうぞ。
少し散文的な内容になる予想だが、
今のわたしにとってホットな内容なのでその勢いで書いておく。
Contents
影響の輪に新しい目線をくわえる【#7つの習慣】
「影響の輪」に関する解説は以前書いた記事を見てほしい。
そこにわたしなりのアップデートを加える。
今回も、なんとか短くて、いい記事にしてきまっす!
ちょっとだけまとめる
それでも前回の記事から、ちょっとだけまとめる。
「影響の輪」とは・・・
「現時点で、あなたが影響を及ぼすことのできる範囲」だ。
逆に言えばこの範囲にないものは、
あなたが心配する必要がないもの
あなたの心配してもしょうがないものだ。
例えば、
・他者
・過去、これまで
というところ。
新しい目線
ここでくわえたい新しい目線はこれ。
それは
「世の中のほとんど全てといっていいくらいのものは、あなたが影響をあたえられないものだ」という視点。
「まぁそうだよね」と腹落ちするのであれば、
それでいい。
わたしもこれくらいのことは理解をしているつもりだった。
ただし最近気づいたことは、
結果としてわたしはなーんにも理解できていなかったということだ(泣)
相手に寄り添うといいながら結局は自分勝手な行動に走る。
他者に執着し自分を見失う。
小さな約束を軽んじて自ら信頼関係の崩壊をまねく。
こんなことでは、
まだまだ一人立ちは難しい(泣)
気づけば他者をコントロールしようとしている自分に気づく。
やはりテクニックではなく原理原則に基づいて行動しなければ、
道をあやまるのだ。
『先は長い、深い、言葉にならないくらい』
新しい目線が与えてくれるアイデア
「世の中のほとんど全てといっていいくらいのものは、あなたが影響をあたえられないものだ」という新しい視点が与えてくれるアイデアとはこのようなもの。
それは
「そもそも人生ほとんどは自分の思う通りにはならない」ということ。
これは原理原則といってもいいかな。
ただし、諦めの境地とは少し違う。
あくまでも自らのポジティブな働きかけを継続してくことにつながる。
「あたりまえ」ではない
「そもそも人生ほとんどは自分の思う通りにはならない」というこのアイデアの上に立ってみる。
他者の人生は他者の人生。
もちろん、自分の人生は自分の人生。
これは、少しさびしいような印象を受けるかもしれないが、変えられない事実だ。
だから人間関係一つとっても、
自分の思う通りにはならないことは日常茶飯事。
友人関係や恋人関係、家族の関係性においてもこういうことはよくある。
「そもそも人生ほとんどは自分の思う通りにはならない」というこのアイデアを、
自分の根底に据えることができれば、
こんな世界の姿をみることはできないだろうか。
目の前にいる他者。
共有している時間。
何一つとっても「あたりまえ」のものはない。
そもそもが交わらないようなものだったはず。
例えば他者が自分と一緒にいない間、
どんなことをしているか
何を考えているのか
究極的にすべて理解することは不可能だ。
ただし時間を共有した事実や楽しい経験ができたこと。
一つでも「喜び」や「幸せ」を拾うことができれば、
それだけで本来十分なのだ。
「あたりまえ」ではないからこそ、
ふとしたきっかけで人生が交わる瞬間は、
ある意味では奇跡といえる。
だから人生は素敵だし、
「あたりまえではない」ということが、
それだけで他者に感謝を伝えるいいきっかけになる。
猜疑心や被害妄想で身動きが取れなくなりそうなときには、
少しこのことを思い出してほしい。
「あたりまえではない」ということが腹落ちすれば、
相手をコントロールしようとすることもなくなる。
コントロールしようと駆け引きをしたり、
裏切られることを怖がったり、
人間関係におけるテクニックみたいなことに心をすり減らす必要なんてものがなくなる。
これがここ最近の経験から、
わたしが学んだこと。
このタイミングで、
わたしがこのことを再認識するために必要なコメントをくれた知り合いに感謝してる。
「そもそも人生ほとんどは自分の思う通りにはならない」
これを事実として、
腹落ちさせることができるかが勝負どころだ。
その上で今日もポジティブな空気を周囲に送る試みを継続する。
以上!!!!
読んでいただきありがとうございます。
きっとこの記事はわたしが個人的に読み返すような記事になる気がしている。
この記事があなたにとって、
何かのきっかけになったのであれば嬉しい。
ピース。
世界平和。
ではまた。