日記

今日もまぁやっていく 20230215

nabablog と申します。

水曜日の朝。今日も素晴らしい一日。

今日もまぁやっていく

水曜日の朝

自分と向き合う時間。

他者と向き合う時間。

どちらも今のわたしにとって大切。

どちらの時間も、

現状に対する気付きと、

これからのことに目を向けさせてくれる。

いずれかの時間で、

一つでも喜びや幸せなんてものを、

拾うことができればその日一日は素晴らしいといえる。

そんな一日一日を確かに積み上げること。

積み上がっていうことを実感すること。

これがいい人生を送るときのコツ。

水曜日の朝。

目の前にある幸せ

水曜日といえば、

今週も折り返し。

先の予定をみながらも、

日々やるべきことに取り組んでいれば、

それなりに時間は早く進む。

「時間が少なすぎる」と

言えるほどストイックな生活はしていないけれど、

大切なことだけで生活を埋めていても、

何か焦燥感のようなものはある。

「悔いのない人生を送る」っていうのは、

わたしには少しストイック過ぎる気もしていて、

それよりかは目の前にある幸せをどう認識するかということを考えている。

「原理原則」と「テクニック」

資産構築をしていると、

いわゆる「原理原則」と「テクニック」を区分して、

それぞれを身につけていくことになる。

言うまでもなく

優先して身につけるべきは「原理原則」

これだ。

「原理原則」というのは、

文字通り変わることのない普遍的なもの。

「テクニック」というのは、

時代やその時の状況で最適な選択が変わってくる。

広く応用できる「テクニック」というのも確かにあるけれど、

どんな状況でも対応できる自分になるには「原理原則」を、

理解して腹落ちさせることが不可欠。

これを最近特に実感している。

「ユダヤ」が持ってる考え方

資産構築における「原理原則」を学ぶためのいいモデルは、

たとえば「ユダヤ」が持っている考え方だ。

「原理原則」を実践して、

未だに彼らが持っている影響力は図りしれない。

もちろん彼らの中で共有されている「テクニック」のようなものもあるけれど、

もとを正せば「原理原則」をベースにして、

その派生として生まれてきているものがある。

幸福とは、いかに幸福感を感じることができるか

わたしがユダヤの考え方でしっくり来た考え方の一つに、

「幸福とは、いかに幸福感を感じることができるか」というシンプルなものがある。

これはわたしも生活していて、

日頃から意識していることだ。

いっておくと、

これは刹那的にやりたいことを、

自分勝手にやるということではない。

自分自身への理解や、

他者とのつながりも通して、

「あぁ今日も幸せだ」と心からいえるのかと言うこと。

そこには瞬間瞬間を意識する目線と、

もっと広がりのある時間の中で幸福感を感じる目線とが、

同居しているともいえる。

今日もまぁやっていく

幸せについて考えるとき、

プラスマイナスや他者の幸せとの比較で、

幸福感を感じようとするのは間違っているとは言わない。

けれど日々確かに積み上がっていく幸せや、

喜びや楽しいことが少しずつでも積み上がっていく実感がないのであれば、

少し立ち止まって考えてみるのがいいのかも。

日々感謝しながら生きることは、

それだけでも幸福な人生につながっていく。

言葉にすればシンプルだけれど、

なかなかそれをそのまま実践できるかというと、

意外と難しかったりもする。

時には痛みも伴うが、

そこはぐっとこらえてシンプルに「原理原則」通りにやってみる。

「あぁ今日も幸せだ」と心からいえるように。

今日もまぁやっていく。

いつも読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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