日記

「常識」や「前提」をとっぱらう  20230712

nabablog と申します。

水曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

「常識」や「前提」をとっぱらう

水曜日の夜

今日も今日とて、

朝会社にいって好き勝手に仕事をした。

まぁあとどれくらいサラリーマンを続けるのか

わからないけれど、

これはこれでいい。

自分で主体的に決めた目標や目的地に向かうのであれば、

そのプロセスは何事でも楽しい。

ただし、

自分の人生と真剣に向き合うと、

つまるところ「一秒一秒を何に使うのか」という話になる。

「人生」とかをテーマにして考える時、

折角であれば「常識」や「前提」を一旦取っ払って、

考えてみるといい。

自分の人生。

あと数十年も毎日、

8時間の労働をすることに使っていいのか。

「安定している(といわれる)」ことに、

それほどまでに執着する必要があるのか。

こういうところ、

自分の心の一番そこのところと向き合ってみる。

歳なんていうのも関係がない。

どれだけ時間が残っているなんてことを、

他人と比較してもそれこそどーにもならない。

やりたいことだけやる。

やるべきことだけやる。

水曜日の夜。

いい夜だった

昨日は同僚と食事をした。

わたしよりも少しだけ年上の先輩。

詳細はここには書かないけれど、

今この瞬間に「人生ってすばらしいよね」ということを

あえて言葉にせずとも、

それが体からにじみ出ているようなそんな印象を受ける。

聴けば、

もちろん楽な人生を生きてきたわけではないし、

本当に苦しい時期もあったという。

ただそれらのことを、

笑いながら話をする先輩からは、

すげーパワーというか勇気をもらった気がする(なんかすごい頭の悪そうな文章だなw)

今のわたしに関していえば、

本当に好きなように生かしてもらっている一方で、

もちろんつらいことや苦しいこともそれなりにある。

今の自分にどうにかできそうなこと、

今の自分にはどうにもできなそうなこと。

こういったものは、

それぞれにもっているはず。

「悩み」や「苦しみ」にだけフォーカスするわけではなく、

「将来」や「希望」だけにフォーカスをするわけでもなく、

過去→現在→未来のつながりを意識して「今ここ」に集中すること。

気づけば過去のつらい経験も今日に生かされていると感じるし、

今日この瞬間が明日に繋がっていることもわかる。

明日なにかがあったとしても

「多分、明日の自分にはどうにかできる」という確信もある。

昨日はその先輩と二軒いったけれど、

これまた「いい夜だった」そう思う。

これは今、そう思う

そういう時間を過ごしたあとというのは、

自分を注意深く観察しやすいと感じる。

その先輩のように自分も、

過去のことも今そして未来のことも、

一つの楽しいエピソードとして相手に届けられているのか。

数年前の自分と比べれば、

それは変わってきていると感じる。

昔の自分は「生まれてしまったこと」を憂うともあったし、

「自分と関わることで他者が何かしら不幸な状況におかれる」ことを、

極端に怖がっている人間だった。

今の自分であればその時の自分に寄り添って、

かけてあげることができる言葉や、

みせてあげることができる背中がある。

これは今、そう思う。

「生まれてしまったこと」を憂う人間や、

「自分と関わることで他者が何かしら不幸な状況におかれる」ことを怖がる人間は、

裏を返せば他者にもそういった接し方をすることになる。

つまり、

他者が生まれたことを喜べないし、

他者が助けを求めた時にそれを無視するような生き方をすることになる。

これではやっぱり、

「いい人生」にはならないよね。

昔の自分。

「常識」や「前提」をとっぱらう

だからこそ今、

これまでの「常識」や「前提」というものを、

一旦取っ払った生き方をしようとしている。

関係性を断って自分一人の殻にこもるのは、

短い目でみればある意味合理的で簡単な選択。

ただこれまでのいろいろな人との出会いや、

経験から「それではやっぱつまんないよな」ということに気づいた。

こんなことは、

例えば本屋に行けば2,000円もだせば買える情報。

いこういうアドバイスをくれる人も、

これまでにたくさんいた気がする。

それでもそれを受け取るだけでは、

その「情報」には何の価値もない。

それを活用し実践して、

実際の生活の中で回してみること。

そうすると「この情報が役に立つ」ということが、

始めてわかる。理解できる。

聴く耳をもつということ以上に、

そこで得た情報や知識を実際に使ってみるということのほうが、

何倍も大切なのだ。

「常識」や「前提」をとっぱらう。

そうすると「自分が本当にやりたいこと」「生きたかった人生」というのが、

少しずつ見えてくる。

そうなれば、

そこに向かって進む道は、

何本もあることもわかってくる。

「先が見えない」ということは「選択肢が少ない」ということ。

「常識」や「前提」をとっぱらって「選択肢」を増やしていく。

今の自分があるのは、

例えば昨日の先輩もそうだし、

いつも私のことを気にかけてくれる友人や家族があってこそ。

そういう人たちに、

価値や問題解決の術を提供できる人間になりたい。

その方が頑張れそうなきもするwww

最近こんな感じ。

読んでいただきありがとうございます。

今日も素晴らしい一日をお過ごしください。

(7月14日はライブですw今日のスタジオもいい感じでした!)

ピース。

世界平和。

ではまた。

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