日記

自分の見栄 20230718

nabablog と申します。

火曜日の朝。今日も素晴らしい一日。

自分の見栄

火曜日の朝

ここのこころ、相変わらず平日と週末の境目がなくなっている感じがする。

まだむしろ平日の方が「ほっ」とする瞬間があるような感覚。

個人的にはいい傾向だと思っている。

こんな毎日を送っていると、

時間はあっという間にすぎる。

そんなときでも心にとめて置きたいのは「時間は有限」「命は有限」ということ。

こういうことを忘れてしまうと、

時間はすぎるばかり。

溶けるといってもいい。

だからこそ目の前にある一秒一秒を大切にする。

いろいろな人と共有する時間。

そして自分と向き合う時間。

時間を厳選しなければいけないな。

これは特に最近の自分の課題だ。

付き合いが悪くなったと思われるとか、

自分が居合わせない場所で自分がなんと言われるかとか、

正直どうでもいい。

自分のやるべきことが明確になったのであれば、

あとはそれをやるだけ。

火曜日の朝。

自分の見栄

良くないことが起きる時、

それにもパターンがある。

自分が影響を及ぼせる輪の外側の話もあるけれど、

大概の場合は「自分の見栄」が悪さをしているということに気づく。

例えば、

他者が何をいっているのかが気になること。

自分が負けを認められないこと。

こういうことが「自分の見栄」と言われる要素で、

悪さをしていることだ。

なんとなくでもわかると思う。

「負けを認められない」と言われること。

自分が影響を及ぼせる範囲

ここでの救いは「自分の見栄」の話であれば、

自分が影響を及ぼせる範囲であること。

「負けを認める」のはなかなか難しいけれど、

真に「現状の自分は、これまでの自分の判断と行動の結果」ということを認めることができれば、

見える世界は変わってくる。

他者や環境に影響を受けて軸がブレブレになることはよくあるし、

その気持はよく理解できる。

ただしよくよく掘り下げてみれば、

それは自分の外側に悪さがあるのではなくて、

自分の内側にこそ悪さがあることがわかってくる。

「自分の見栄」を認識して、

それを捨てることができるのであれば、

ムダな時間やお金を使わずにすむ。

こうやって始めて、

あなたにとって本当に大切なことに、

時間やお金を集中することができるようになる。

ここにもあるのはトレードオフの考え方。

「自分の見栄」を捨てて、

最優先事項に取り組んでいく。

負けを認める

自分の人生に自分が責任を持つ覚悟を持って、

現状の自分は、

これまでの自分の判断と行動の結果と認識すること。

これが「負けを認める」こと。

少し補足しておくと、

あくまでも現時点における「負け」の認識。

行動や挑戦を諦めなければ、

本当の意味の失敗はない。

負けを認めて、

自分のいらない見栄を捨てて、

行動と調整を辞めなければ間違いなく見える世界は変わってくる。

負けを認めてまたここからやっていく。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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