日記

日々、生かされていること 20231129

ナバブロと申します。

水曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

日々、生かされていること

水曜日の夜

午前0時をまたいで、

実は今2023年11月30日(木)なんだけれど、

11月29日の夜ってことで。

11月29日はわたしの母の命日。

ちょうど一年がたったことになる。

当時のことは今もよく思い出す。

これまで1年を振り返ってみると、

「あっ」という間ということもできるけれど、

本当に濃い時間を過ごしていると感じる。

きっと1年前にも同じようなことを書いていたのだろうけれど、

1年前に学んだこと、

それを日々の生活の中で実感したことで、

今だから書けるということもあるので書いておく。

この1年でも、

自分が大切な人に何度も話をした内容でもある。

水曜日の夜。

日々、生かされていること

母の死を通して、

わたしが学んだこと。

改めて気づいたことがある。

それは「日々、生かされていることのありがたさ」だ。

「安っぽい言葉」かもしれないし、

「あたりまえ」かもしれない。

それでもここに書くエピソードで、

わたしが得たものや教訓が、

少しはいきいきとリアルに感じることができるのではないかと思う。

いろいろな方々に共有をして来たので、

なるべくわかりやすく書ければいいな。

1年という時間が経過し、

少し整理して書けるような気もする。

スマホ覚えたて

リンパ腫を患い抗がん剤治療を数年続けていた母。

この抗がん剤というのは、

がんをやっつけるということと合わせて、

白血球の数値を下げるという効果があるものだった。

2022年の秋。

世間はまだみんながマスクを着けて生活をするのが当たり前で、

そんな時期に抵抗力が下がっていた母はコロナになった。

病状はそれほど重くはなかったものの、

なかなか完治には至らず、

咳が止まらなくなった。

そして母は入院することになった。

「まぁなんとかまたよくなるだろ」とわたしは思っていた。

母の入院生活が始まる。

コロナが流行している頃のことだ。

病院では院内感染防止のために、

親族の面会ですら基本的にはNGという状況。

当時は家族5人(父、母、姉、弟そしてわたし)のLINEグループがあり、

それで入院中の母を含めて、

家族とやりとりをしていた。

母の闘病中に、

わたしの母と父にはスマホを持たせた。

まさに「スマホ覚えたてのじいちゃんばあちゃん」という、

つたないメッセージのやり取りが続いた。

面談時間は15分

とある日、わたしの仕事中に父から連絡が入った。

どうやら父のもとに病院から「家族で病院に来るように」という連絡が入ったらしい。

仕事の手を止め、病院にタクシーで駆けつける。

父と姉と待ち合わせをして、

母の病室と同じ階にあるナースステーションのすぐ横の個室に通される。

なんとも不安な時間。

しばらくすると、

落ち着いた様子のお医者さんがやって来た。

お医者さんからは、

母は間質性肺炎になっておりかなり重症であること。

これからステロイドの治療を行う。

最善を尽くすがこれで良くならなければ、

手の施しようがないことが淡々と伝えられた。

そして「今はコロナの厳戒態勢なので、家族でも1人あたりの面談時間は15分」ということが告げられた。

そこから順番に母と面会した。

順番は忘れたけれど、

確か姉と交代で病室に入った記憶がある。

姉が母と面会する間の15分。

わたしは何を母と話すのだろうかと、

頭は回転しているはずなのだけれど、

結局何も考えられていなかった気がする。

姉の面会時間が終わり、

入念に消毒をした後、

私は母のベッドがある病室に入った。

安心感

母の病室は個室でベットは一つ。

スライドドアを開けて部屋に入ると、

右手には洗面台とトイレのドアがある。

きれいなビジネスホテルのような感じ。

部屋を仕切るカーテンを開けると、

母が寝ているベッドがあった。

1〜2週間ぶりくらいに見る母の顔。

気持ち痩せた気がした。

緑の酸素マスクを着けて、

呼吸は苦しそうだけれど意識はある。

気づけば、

わたしは母の手を握って泣いていた。

こんな時に出てくる言葉といえば、

「ありがとう」とか「ごめんね」とかそんなものだ。

いくら事前に準備をしているとかは、

あんまり関係ない。

それに私の母のこと。

別に何も言わなくても全部わかっている。

そういう安心感があった。こんな状況なのに少しほっとした。

号泣する35歳独身

ちょっと書いている今、

涙がとまらなくなったので、

この後、数週間の詳細はまたの機会にでも書こうと思うwww

全然だめでした。

冒頭カッコつけた分、

夜中にキーボードを叩きながら号泣する35歳独身は際立つなぁw

数日後、再度お医者さんに呼び出されたわたし達は、

「母がもう長くはない」ということを知らされ、

そこからは「面会は一日15分」という制限も解かれた。

そこから数週間、家族で交代交代で病室に通い、母を看取った。

一瞬一瞬がかけがいのないもの

母が最期にわたしに、その姿で教えてくれたこと。

それは「残り時間が15分だから大切ってことではない」ということ。

たとえば

あなたがこの記事を読む数分も、

あなたの人生の終わりが目前に見えた時の数分も、

その時間の重要性や重さは変わらない。

一緒だということ。

だから、日々を大切に過ごすのだ。

「命を使い切る」という表現をしている人もいたけれど、

まさにそんな感じ。

大切な人と過ごす時間もそうであるし、

仮にそういう人が思い浮かばないという人でも

あなた自身の自分一人の時間という視点でも。

今、この一秒一秒、一瞬一瞬がかけがいのないものであること。

これを自覚して生きること。

その大切さ。

これを教えてもらった。

それこそ母が亡くなってからの一年は、

とてつもなく濃い毎日で、

さまざまなこともあるけれど、

毎日が充実して、幸せを感じて生きている。

わたしはこの経験をどなたかに届けたいと思って生きている。

だからこそ泣きながらでも、

この記事を書いた(勝手にな!w)

今、あなたに大切な人がいるなら、

ぜひ今日、感謝を伝えてほしい。

日々が閉塞感や不満や愚痴でいっぱいだとしたら、

肩の力を抜いて

「時間は有限でどうせなら楽しく生きたほうがいいよね」ってくらいの軽さで、

何か少しだけ変化をつけて出かけてみてほしい。

なぜなら

今、この一秒一秒、一瞬一瞬がかけがいのないものであるから。

「日々、生かされていることのありがたさ」を感じながら明日もやってく。

母さん教えてくれてありがとう。

わたしはすこぶる元気にやってます。

そういえば週末はライブ。

ぜひ来て。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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