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今のわたしにとっての真実 20231218

ナバブロと申します。

月曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

今のわたしにとっての真実

お久しぶりです

またしばらく。

お久しぶりです。

ここのところ、

正直、落ちていた。

ただ、今日なにか少し、吹っ切れた気がしている。

まぁこれも、生きていれば当たり前。

こんな日もある。

この一ヶ月のことの詳細を、

書けるようになるには、

いろいろなしがらみの中で、

多分もう少し先にはなるけれど。

自分としては、

結構ととのって来たと感じる。

火曜日の夜明けも近い。

月曜日の夜。

手渡すことができる自分

自分と向き合う時間。

この一ヶ月は特にこれが多かった。

この重くのしかかる空気に、

参ってしまう一日を何日も過ごした。

起きているのか、

寝ているのか、

わからないような時間。

布団に入っても眠れず、

ソファでうたた寝をしたと思えば、

身体は痛いし、

またすぐに出かける時間が来る。

こういうときでも、

外にでなければ行けないという強制力も、

少しは自分の人生に役に立つもので、

なんとかドアをあけて部屋から這い出れば、

いつもと変わらない人々と顔を合わせる。

自分にとっての大問題。

それも相手にとっては、

とりとめもないことで、

このことに絶望を感じるばかりでもなくて、

それに救われる瞬間もある。

願わくば、

もし自分の友人がわたしと同じような状況や立場に置かれたとき、

自分も経験をもって「まぁたいしたことないよ。大丈夫。なんとかなる」ってことを、

言葉とそれ以外の行動や態度、

そのあり方で手渡すことができる自分に、

少しは近づけたきがしている。

ここに書いておこう

どうやらこの時間がわたしにもたらしたものは、

今わかるだけでも、

この先の自分の人生に大きな影響を与える大きなもの。

そんな予感というか実感がある。

まだまだわたしは、

幸せな人生を歩む余地と義務があるし、

そういったものを、

目の前の人に手渡すことが今の自分にできることで、

やるべきことであるという、

ある意味では腹をくくったということにもなる。

何も新しいことを書いているわけではないけれど、

2023年もあと2週間程度で終わると言う時期に、

自分の決意も含めて、

ここに書いておこうと思う。

仕事をやめる

仕事を辞める。

その準備と覚悟ができた。

まぁこれだね。

8年くらい前に銀行員から、

今の仕事に転職をして、

見える世界は大きく変わった。

間違えなくいい方向へ。

小さな決断でも、

それが何の言い訳もできない状況で、

「自分が下した決断だ」という感覚をもつことができれば、

灰色の景色に見えた人生は、

鮮明な色がついた世界に変わる。

そうして、

これまでの前提や常識みたいなものを取っ払う覚悟を持てれば、

もう怖いものもほとんどなくなる。

もちろん、

この状況を作り出すために、

これまでに手間と時間を切り分けて、

そんな優等生なわけではないけれど積み上げて来たものがある。

そういったものは、

決して裏切ることがないというのは、

多くの人が語っているし歴史からも学べる。

そしてなにより、

自分自身がそう確信している。

2024年はサラリーマンから足を洗って、

さらに自分の人生を加速させていく。

「する」のか「しないのか」

今までは、

なにかネガティブな出来事や、

感情というものが原動力になることも多かった気がする。

今回も「防御反応」や「生存本能」のようなものが、

働いている部分もあるとは思うけれど、

一方でポジティブな感情が、

この原動力の大部分を締めている。

最低限、

それだけのことはやってきたし、

少なくとも今の状況を作り出すことができて、

これを更に良くしていけるという見通しをたてられる状況に、

自分自身の身を置けていることは恵まれている。

結局のところ、

聖書の言葉にもあるように「誰でも二人の主人に仕えることはできない」ってことで、

どこまで言っても眼の前にある「やる」か「やらない」という、

このどちらを選ぶしかない。

これは「原理原則」とも言えることで、

さらにはこの「原理原則」に従った生き方を「する」のか「しないのか」という、

この二択をわたし達は常に選択していることになる。

選択を迫られている。

行き急ぐようにいきることや、

残り時間を数えることばかりに目を向けるいき方というのは、

あまりおすすめはしないけれど、

「わたしは今日という、後戻りできない、かけがえのない時間を過ごしている」

というのは事実で、

この期間でこのことを文字通り骨の髄で感じることができたと感じている。

そこには必然性がある

この「感じる」というのがどこまでいっても大切。

「実感」することや、

「確信」することともいえる。

これを身に染み込ませることで

自分の一挙手一投足に芯や軸と言うものが生まれ、

たとえば何気なく発した自分の言葉に「説得力」という

重みを乗せることができるようになる。

だからやっぱり、

わたしはサラリーマンをやめるのだと思う。

これは「実感」だし「確信」

いろいろなめぐり合わせ、

不思議な出来事の連続で、

今わたしがこの場所にいることは、

偶然のように思えるけれど、

そこには必然性がある。

今のわたしにとっての真実

すこし記事を書く時間が空くと、

こういう抽象度の高い言葉を並べてしまう傾向は十々承知している。

ただ今の自分にとっては、

これが素の自分であって、

そこに迷いもない。

ここに書いた他者からみれば、

脈略のない記事でも、

これが今のわたしにとっての真実。

そもそも理解されようとかでもないということを、

言い始めてしまうような始末でもあるけれど、

これもまたしょうがない。

ただし、

こんな記事を最後まで読み込んでしまうようなあなたであれば、

少なからずわたしの持っている感情や、

思考の過程というものに関心があるということかもしれない。

そんなあなたの人生がこれまでどんなものであれ、

明日から過ごす時間の一つ一つが、

今日という時間を過ごしたあなたよりも、

数センチでも数ミリでも成長や変化と呼べるもので満たされて、

ひらたくいって幸せなものとなるように願ってます。

わたしはやろうと思っているし、

きっとわたしなら成し遂げることができるのだろう確信がある。

なんだろうねこの感覚は。

不思議。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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