ナバブロと申します。
金曜日の夜。今日も素晴らしい一日。
前提の違い
金曜日の夜
さて金曜日の夜。
こんな年末の金曜日に自分が何をしているかと思えば、
一人家でキーボードを叩いている。
何やら昨日から咳と喉のイガイガと発熱。
流行に敏感なもので。
とりあえず今日は家でテレワークに切り替え、
来年のレコーディングに向けた参考音源をディグるなんて作業をやったりしていた(おい!)
今日の夜の予定はそもそも入れていなかったのだけれど、
明日からは予定も立て込んでいるので、
なんとか症状は今日のうちに収まってくれるといいのだが、、、。
身の回りのことが少し落ち着いたと思えば、
少し疲れも出たのかな、、、なんて考えたりしながら、
今の自分にとって、
変えられることと変えられないことをしっかり見極めて、
明日のことは明日しっかり考えたいと思う。
金曜日の夜
コミュニケーションの話
この前、友人と食事をした。
どうやらここのところのわたしの身の回りで起きたこととは、
普通に生活をしていると、なかなか出会わないことのようで、
話を聴く分にはそれなりに楽しいらしい。
話をすることはそれほど得意ではないけれど、
相手が喜んでくれるのであれば、
まずは良しとしよう、、、
なんて安易なところに落ち着いた。
その友人とは色々な話しをするんだけれど、
おもしろかったのは、
コミュニケーションの話。
いろいろな角度から話をして、
気づいたことがある。
それは「コミュ障」にも大きく2つあると言うことだ。
そして結論としては「わたしも、たちの悪いコミュ障に違いない」ということに気づいた。
2つのアクション
コミュニケーションには大きく2つのアクションがある。
会話であれば、
・自分が言葉を発すること
・相手の言葉を理解すること
本来はこのプロセスももっと細分化できるんだけれど、
今回のところはこの2つに分けて考えてみてる。
まず前者の「自分が言葉を発すること」について、
これを難しいと考える人は結構いるし、
「コミュ障」をイメージする時にまず思い浮かぶ情景。
これについては、
自信をつけたり、
他者が自分をどう思っているか(正直なところ、他者は自分にはあまり興味がない)ということを客観的に捉えたりすることで、
克服できることが多い。
これって、
対処の方法が比較的すぐにイメージできるし、
あくまでもわたしにとってはだが、
それほど大きな問題ではない。
一方で、わたしが最近自分の課題として認識しているのが、後者の「相手の言葉を理解すること」についてだ。
どうやら日々、
何気ない会話やメッセージの中で、
相当な誤解をしているようで、、、
それで結局のところ相手と自分の距離が縮まらないということがあるようだ。
前提の違い
自分と仲のいい古くから知る友人であれば、
そういったディスコミュニケーションはあまり起こっていないようだ。
先日、会った友人からもそれは言われた。
ここからは書くのもちょっと難しいんだけれど、
特にまだあまり親しくない仲においては、
やっぱり「前提の違い」というのを、
意識をする必要があるということだと思う。
その前提というのが、
どうやらみんなそんなに
・毎日楽しくないらしい
・幸せではないらしい
・ぐちとかいっぱいいいたいらしい
・変化や新しいことを求めてないらしい
ってことみたいだ(ちなみに、わたしは真逆、、、笑)
前提に違いがあれば、それこそ噛み合うものも、噛み合わないよなーと納得。
文脈
他者とのコミュニケーションの前提として、
価値観の違いに意識を向ける必要があるのだけれど、
それほどまでに違うということを、
まずは知る必要がある。
相手にとっての文脈と、
自分にとっての文脈が、
これほどまでに違うということ。
冷静にゆっくり言葉を選んで話をしたとしても、
文脈や前提を共有できていなければ
「話が通じない」場合があることを、
しっかりと自覚する必要がある。
結局のところ、
今の自分の世界観から一歩出ようとしなければ、
「相手の言葉を理解すること」なんてのは無理な話で、
そこに「たちの悪いコミュ障」が誕生する。
これが今の自分。
そうはいっても、、、
っていうことは一旦ぐっとこらえて、
相手の話を理解して、
相手も自分の言葉を受け取れるような工夫を諦めずにやるってことを、
やり続けていこうと思っている。
現場からは以上です。
読んでいただきありがとうございます。
ピース。
世界平和。
ではまた。