日記

献杯 20240101

ナバブロと申します。

月曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

献杯

月曜日の夜

年末に突然入る訃報。

今日は大変お世話になった上司のお通夜に行ってきた。

ここに書いておきたいのは上司への感謝。

まずはこれ。

大変お世話になりました。ありがとうございます。

この歳になると、

お世話になった方のお葬式に行く機会もあるのだけれど、

その方に関わった人々の顔を見るだけで、

シンプルにその人が与えて来た影響や愛というのを

文字通り感じることができる。

「いい葬式」というと語弊があるかもだけれど、

できればその真意を汲んでほしい。

ただただ悲しみにくれる、

途方にくれるというのだけではなくて、

故人がしっかりとわたしに手渡してくれたものをありありと感じることができて、

また一つ自分自身が取り組むべきことが明確になった気もしていて、

確かにポジティブな感情が、今、わたしの中にある。

そういった意味で「いい葬式」だったと思う(あなたにこの真意が伝わればいいな)

そこに集う人の数だけでは語ることもできないのはもちろんだけれど、

わたしの葬式の後、

たった一人にでもこんな感情を抱いてもらえるような、

そういった価値のあるものを日々の生活で、

関わる人に手渡していければいいなと思っている。

そして今回のことは「時間とは有限である」

そんな当たり前とも言える事実を、

改めて強く意識する機会にもなった。

また今年も、

わたしのために少しでも時間を割いてくれる方々に、

具体的な形で感謝を伝えていかなければならないと、

強く意識した一日になった。

2024年最初の月曜日の夜。

いいスタートを切ることができた。

元旦。

献杯

今日は昼過ぎにお通夜に出かけ、

そのあと、このために全国から駆けつけた、

これまた個人的も世話になった仲間とゆっくり話をする時間を作った。

正直なところ、

今日の夜は自宅でいろいろやろうと考えていたこともあるのだけれど、

よく考えて今日はこの仲間と時間を過ごすことをわたしは選択した。

そして、献杯。

数年前には酒も飲むことができなかったわたしが、

「献杯」するなんて思いもしなかったけれど、

今日は仲間と話をしながら、

ゆっくり酒をのんだ。

幸いわたしの周りには、

現状を嘆いたり愚痴をこぼすことだけに時間を使いたいと思っている人間は少なくて、

今回起きたことは決して軽い話ではないけれど、

その事実を受け止めた上で、

今後をどうしていくのかと考えられる仲間がいる。

これが何よりもありがたく心強い。

なぜこの人に人がついてくるのか

今回、亡くなったお世話になった上司。

あえてここでは「彼」と書かせてもらう。

彼と始めて会ったのは、

私が8年前に転職をして、

新しい職場に赴任した時のこと。

始めて対峙する彼は、

サラリーマン(しかも、私と同じで元銀行員だったという)には似つかわしくない風貌で、

平たくいってカタギには見えない(決して、悪口ではない!)だった。

正直「(俺は転職先をミスったのかなwww)」と思った。ただ、彼と会話をして一緒に仕事をすると、その印象は変わっていき、結局わたしは「こんなおもろいオヤジがいるんだなー」と感じるようになった。

彼と過ごした数年で、

その風貌からは想像ができないくらい、

わたしは本当に多くのものを教えてもらった。

そこにあふれる人間味(良し悪し含めて)、

彼の考えを少しずつ理解できるようになればなるほど、

平たくいってわたしは彼のことを好きになったし、

尊敬できる部分も増えていった。

最初は「なぜこの人に人がついてくるのか」と理解が及ばない部分もあったけれど、

そんな疑問は彼と付き合ってく中で、その問いの答えが自分の中に腹落ちしていったことを覚えている。

彼がわたしに教えてくれたもの

彼がわたしに教えてくれたもの、

示してくれたものを一つ上げるとすればこんなこと。

わたしはよく失敗をする。上司である彼をお客さんの前に担ぎ出し、謝罪してもらうというシチュエーションも多かった。だけれど、彼は一貫して「最後は俺がケツを持つからやってみろ」という姿勢を、わたしに示し続けてくれた。

これはサラリーマンとしても当然のことながら、

何かしらの組織やチーム、仲間との関係性の中で結果を出していく上で、

「リーダー」にとっての必須の要素だと考えるに至っている。

転職前の環境でもそういった上司はいたのかもしれないけれど、

このことを真に実感できたのは、

彼に会い、今の環境に身を置くようになってからだ。

ある意味では、

そのことを十分に理解できるくらいには、

自分も少しは成長できたのかもしれない。

最善の策を見つけていこう

いつまで自分はサラリーマンを続けるのか。

このことを考え、

自分なりの期限も決めている。

ただし、

今回の件で彼がやり残したことも見えて来ているし、

この点について、もう一度だけ、彼に世話になった自分がどこまで関わるかについて考えてみる。

一方で、わたしが彼から「自分のスタイルを貫くこと」や「自分の思うまま(「自分勝手」という意味ではない「我がまま」に)生きる」ということを大切にするようにというメッセージを受け取ったことも事実。

こういったことを含めて、

周囲の人間にとって良い形になるように、

そして自分も納得する形で、

最善の策やタイミングを見つけていこうと考えている。

意志と勇気

いずれにしても2024年が、

自分自身のターニングポイントになることは、

間違いない。

今年の大晦日や来年の元旦、

どのような状況でこのブログの続きを書いているかはわからないけれど、

目に見える結果として言葉をしたためることができるように、

意志と勇気を持って進んでいく。

2024年もきっと忘れられない年になる。

これは予感というよりは確信。

みなさんにとっても、

今年一年が素晴らしい一年となりますように。

最後に改めて、

わたしに多くの気づきを与えてくれた彼に、

最大限の感謝と尊敬の思い込めて。

現場からは以上です。

新年から、ちょいとヘビーな内容。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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