日記

少しGWっぽい話題? 20240505

ナバブロと申します。

日曜日の夕方。今日も素晴らしい一日。

少しGWっぽい話題?

日曜日の夕方

今日は昼から、

本州から札幌に来ている友達とランチ。

この春から新しいことを始めたという話を聴いたのだけれど、

こういう話はいくら聴いてもいい。

「前向き」や「ポジティブ」という言葉は、

ともすると「後先考えない」「無鉄砲」みたいな言葉と結びつくことも多い。

けれど、実際に自ら行動を起こす彼らの言動は、

他者のテキトーな評価とか横槍とか...

そういう正直どうでもいいことを、

とっくに置き去りにしている感じがする。

自分の人生と真剣に向き合う人と対峙すると、

いつもこういう感覚を覚える。

相手の現在位置を知ることは、

自分の現在位置を知ることにもなるし、

今日もいい刺激とアイデアをもらった。

こういう方々と、

支え合うというか応援し合うというか、

お互いの強みを生かして、

新しい体験をしたりものづくりをしていけると、

さらにまた楽しくなるんだろうな。

日曜日の夕方

少しGWっぽい話題?

昨日は、来週の旅の準備のための簡単な買い物をするくらいで、

久しぶりに一日家で過ごした。

「良くないんだよなー」と分かっていながら、

映画を流しながらあれやこれや考えながら、

作業を進める。

アマプラで映画を観ているんだけれど、

最近は映画を選ぶ際に、

直感2割/Amazonさんのレコメンド8割って感じで、次々と映画をかけ流ししている。

こういう時期があってもいいよなー

と自分を思い込ませたりしながら、かなり贅沢な時間の使い方をしている。

とはいえ、そもそもわたしの偏った趣向を、

Amazonさんも理解をしてくれているようで、

気づけばレコメンドされる映画は、

たとえば「宇宙」や「戦争」そして「宗教」などの色が強い作品ばかりで埋め尽くされている。

昨日は『キャビン』(The Cabin in the Woods)っていう映画(出てくるゾンビとか怪物とか、ストリー自体はちょっと笑っちゃう感じだけれど、設定はおもろかった)にたどり着き、そこからアインシュタインとか、日本の宗教団体のドキュメントみたいなものを観ていた。

謎に自分の何かが研ぎ澄まされているような感覚を覚える一方で、

精神衛生上はあまりよろしくないことも良く分かっているのでw、

少し俯瞰してみてポップな情報も、

意識的に取り入れていこうと思っているw

(映画を観すぎでちょっと鬱っぽくなるって、

なんだか少しGWっぽい話題?)

眺める

酒場や社交性の比較的高い場所で、

「政治」「宗教」などの思想強めな話をするのって基本的にはタブー。

なんだけれど、

何やら最近はめぐり合わせもあって、

こういう意見交換をする機会に恵まれている。

(当然、時間や場所は選ぶし、相手の持っている価値観を確認することや、しっかりとした意見交換ができるという信頼関係を前提とした話ね)

そういったこともあり、

そもそもわたしのバックボーン(親父が牧師)や、

わたしが幼い頃に教えられた価値観と、

それ以外の価値観について、

改めて一歩引いたところから、

眺めることができている気がする。

なんの負い目も感じる必要もない

「日本人は宗教の話が苦手」というようなことを言われることもあるけれど、

その事自体を避難する風潮は個人的にはあまり馴染まない。

まさに「宗教のど真ん中」みたいな幼少期を過ごした身としては、

自分にとっての「あたりまえ」(「常識」といわれるもの?)がたまたま「キリスト教」だっただけ。

「実家の宗教はよくわからない」っていう状況があったとしても目線を変えれば、

その当事者にとっては「あたりまえ」であって、

そこにはなんの負い目も感じる必要もない。

その意味ではみんな平等。

まずはこの土台に立ちたいね。

「宗教」には活用方法があるかもね

ここからいつもの「価値観」の話になるんだけれど(笑)、

とはいえ「相手のことを理解する」という段においては、

「宗教」には活用方法があるかもねという話。

「宗教」と一口にいっても、

それぞれがいろんな流れを組んでいるし、

様々な歴史を経て現在の形になっている。

それを信仰している人々の理念が、

周囲から見て「体系化されている」ことが多い。

それを信仰する人々が大切にしていることを、

理解するために手助けとなる教材や素材というのも、

世の中にたくさんある(多くの宗教には「布教」というテーマなあって、対外的にわかりやすく知識が整理されていることも多い)

もしもあなたが、

よく耳にする宗教の価値観に触れる時間を少し作ったとすれば、

するとたとえば初対面の相手でも、

相手がどんな宗教を信仰しているかを知ることで、

・目の前の相手が何を「嫌いだ」と考えるのか

・目の前の相手が何を「好きだ」と考えるのか

のあたりをつけることができたりする。

海外の方が初対面の相手に「あなたの信仰しているものは何?」と、

割とカジュアルに聴くという話は有名だけれど、

この背景には

・相手の価値観を理解したい

・相手と良好な関係を築くための糸口を見つけたい

という思いが込められていたりする。

こういう感じで、

一つの価値観を理解すると言う意味で「宗教」というテーマと向き合ってみることは

その時間は決して無駄にはならないし、

きっと周囲と良好な関係性を築くためにも役立つはず。

これが「宗教」との向き合い方の一つかな。

ただし、

どこまでいっても一個人にフォーカスする必要性はあるとわたしは考えてもいる。

どこまでいってもシンプルに「あなたはどんな人間なの?」っていうことが大切。

特定の宗教だからこうだということではなく、

その人自身が何を考えて、

何をやっている人間なのか。

ベースはこれ。

そのうえで知識として「宗教」を学ぶ時間をつくれば、

思いがけない事故や他者や自分を傷つけるリスクを低くしていけるってことかな。

かけるべき手間と時間を甘く見積もらず、

しっかり一対一の信頼関係を築いていきたい。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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