・・・だんだん凶暴化している。少し兄の話をきけ弟よ。
では結論だ。
「おいしいコーヒー」を飲みたいなら「まず自分で淹れよう」
これだけだ。
これで全て解決する。その過程を経験をもとにこの記事にまとめた。
今回の記事は「小手先」の話ではなく「精神論」だ。
なにごともマインドから!
Contents
おいしいコーヒーを飲むには【まず自分で淹れよう】
本記事の内容
◎まずいコーヒーを飲んだことがあるか?
◎すぐにおいしいコーヒーを淹れられるほど「甘く」はない
◎感動する一杯との出会い
◎まとめ
まずいコーヒーを飲んだことがあるか?
最初に聞きいておきたいことがある。
「まずいコーヒーを飲んだことがあるか?」
そもそもコーヒは「”苦い”か”酸っぱい”か」の世界。
本来、この味覚は「避けるべき」として、もともと人間にプログラムされている。
それを普段から、人間は「うめぇうめぇ」と飲んでいる。
いつの間にかその「苦味」と「酸味」を「おいしい」と受け入れている。
とはいえ、コーヒーの「苦味」と「酸味」を、何でもかんでも受け入れられるかというとそうではない。
だから最初にあえて聞いた。
「まずいコーヒーを飲んだことがあるか?」
普段、飲んでいるコーヒーは「お店の商品として販売されているもの」や「お湯を注げばすぐできる」というコーヒーが多いのではないだろうか。
この手のコーヒーを飲んでいると「まずい」と感じる機会は、ほとんどない。
それどころか、最近コンビニ売っているコーヒーは、どれもおいしい。
いわゆる「カフェ」で飲むコーヒーと比較したとしても、わたしのような素人では、その違いを味だけで見抜くのはむずかしい。
これは「感動を覚えるほどのコーヒーに出会う」ということもむずかしくなってきているともいえる。
クオリティーの差がなくなってきているからだ。
それで、わたしはこう考えている。
「感動を覚えるほどのコーヒーに出会う」条件。
それは「おいしいコーヒー」を語る前に「まずいコーヒー」とは何かを「体験」しておくこと。
この考えにいたるにはこんな出来事があった。
すぐにおいしいコーヒーを淹れられるほど「甘く」はない
じゃあどうやって「まずいコーヒー」と出会うのか。
ある意味「まずいコーヒー」に出会うことは「おいしいコーヒー」に出会うことよりむずかしい。
もし「まずいコーヒー」を提供しているカフェや会社があれば、そんなのはつぶれていく。
となれば「自分で淹れる」しかない。
まずは自分で「ハンドドリップ」をしてみるのだ。
「ドリッパー」と「挽いた豆」さえあればトライできる。
わたしは数ヶ月前「コーヒーおしゃれやん(^o^)」ということで、ハンドドリップの道具一式を買った。
Amazonでポチって、数日すると道具が届く。
「これは、、、かっこいいぞ、、、!!!!」
早速、YouTubeのみようみまねでハンドドリップを開始した。
豆を挽く。
ドリッパーにペーパーフィルターをセットする。
雰囲気は出ている。
湯を注ぐ。
香りはいい。
さて味はどうだ・・・・
「・・・・!?!?」
これが「激まず」だった。
飲めたものではなかった。
今ままでにない味。
強烈な酸味といい、苦味といい、しっているコーヒーの味ではない。
「これ以上飲むな」と体がいっている。「避けるべき」というか「絶対無理!」と細胞レベルで反応した。
申し訳ないが、一口飲んであとは全部捨てることになった。
今思えば「豆を細かく挽きすぎていた」というシンプルな原因だったのだが、当時の私は知るよしもない。
「コーヒーってむずいかも、、、まずいコーヒーはある、、、」
なかなか衝撃的な内容だった。
というわけで、とりあえずみようみまねでハンドドリップにトライしてみてくれ。
筋がよければ「いまいち」普通なら(?)「激まず」なコーヒーができあがるはずだ。
すぐにおいしいコーヒーを淹れられるほど「甘く」はない。
・・・コーヒーだけにな!(やけくそ)
ということだ。
まずは早くここまで追いついてくれ。
感動する一杯との出会い
この出来事(まずいコーヒーの一件)で正直わたしは戦意喪失した。
そのあとも何回か淹れたものの、一向においしくなる気配はない。
そして数日が過ぎた。
ある日曜日の午後、買い物ついでに入ったイタリアン料理屋。
昼ごはんは済ませていたので、コーヒーを飲みながら読書でもしようと思った。
コーヒーメニュの一番上に書かれている「ブレンドコーヒー」を注文する。
電動ミルでコーヒーを引く音がして数分後。コーヒーが運ばれてくる。
見た目は何のことはない、よく飲む数百円のコーヒー。
本の文字を眼で追いながら、コーヒーに口をつけた。
次の瞬間、目を見開いた。
「え?なにこれ?めちゃめちゃうまい」
味が「クリア」で苦味も酸味も全く嫌ではない。
「これが酸味と苦味のバランスというやつか、、、」
自分が淹れた「コーヒー」とは全く別ものだった。
「コーヒー豆」を挽いて「お湯」で抽出する。
こんなシンプルの工程の中で、何をすれば、これほどまでの違いが生まれるのか。
少し混乱しながらも、そのコーヒーの味のクリアさは飲み終わるまで変わらない。
「クリアカップ(最後までからだに染み渡るようにスルスル飲める様子を表現する言葉)とはこのことか、、、」
これが感動する一杯との出会いだ。
そこからまた本腰を淹れてコーヒーと向き合うようになった。
コーヒーと向き合うのは地道な作業だ。
「コーヒーの味が決まる”変数”」を学んで、一つひとつコントロールできるように工夫をする。
この地道な作業をコツコツ積み上げる。
少しずつではあるが、理想の味に近づいている。
安定した味が出せるようになってきた。
以前よりだいぶましだ。
まとめ
「おいしいコーヒを飲む」までの流れをまとめるとこのようになる。
「自分でコーヒーを淹れてみる」
↓
「まずいコーヒーを体験する」
↓
「数百円のコーヒーが感動する一杯になる」
↓
「自分で理想の味を出せるように試行錯誤をする」
↓
・
・
・
という流れ。
だから、感動するようなおいしいコーヒーと出会うためには「まず自分で淹れよう」
自然とコーヒーとの向き合い方が変わる。
香りや味に対する感覚が磨かれていく。
一杯数百円のコーヒーにびっくりするほど感動できるようになる。
こんな体験ができるが「コーヒー」だ。
シンプルかつ奥が深い世界。
ぜひ「おいしいコーヒー」を毎日飲んでほしい。
そのためには「まず自分で淹れよう」
今日はこれだけ覚えてくれればOK。
ではまた。