日記

身を削る 20221115

nabablog と申します。

火曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

身を削る

火曜日の夜

ここのところ、

入院中の母の付き添いをしている。

とはいえ、

素人にできることはほぼない。

寄り添うだけ。

幸いなことに、

ここまでの過程で、

母と色々なことについて話をする時間があった。

わたしは、

詫びを伝えて、

感謝を伝えた。

もう多分、それ以上に言葉は必要なくて、

お互い十分わかっていると言うところ。

改めて家族なんだなと思う。

今はもう会話も難しいのだけれど、

とりあえず可能な限り、

こうして一緒の時間を過ごしている。

頑固なところは母に似てる

今回の件で誰よりも身を削っているのは弟。

ほぼ毎日ろくに睡眠もとらずに、

母の付き添いをしている。

本人としては、

なにかしら「負い目」のようなものがあるらしい。

誰も悪くないし、

自分を攻める必要など一切ないと伝えてみるものの、

納得がいかないらしい。

こういった頑固なところは母に似てる。

身を削り尽くすというのは、

本人のためでもあるのかなと、

思い至るところもあってとりあえず見守ることにしている。

やさしいやつんな訳よ。

うちの弟。

最高だよね。

身を削る

ただ寄り添う。

というのも、

言葉で言うほどたやすくはないと、

実感してる。

頭も使うし、

体力も消耗するのだ。

先に書いたとおり「身を削る」という表現が結構あっているかもしれない。

日頃から、

自分の心と頭、

そして体を磨き整えておくことの重要性が際立っている。

「他者に寄り添いたい」

「ポジティブな空気を送り続けたい」

わたしはよくこんなことを言っている。

こういうことを周囲に宣言するのであれば、

それを裏付けるだけ、

日頃から鍛錬を積む必要があるんだなと気づいた。

ある意味での責任がそこにうまれている。

口先だけ野郎にはならないように。

思考と言動が一致するよう、

誠実であろうとすることと愚直に向き合ってみる。

いっていて恥ずかしくもなるけど、

多分こういうところを通る必要があるのだと思っている。

「身を削る」のであれば、

そもそも基礎から立ち上げられた自分がそこには必要なんだよね。

日々の気づきがビシビシと来すぎてやばい。

ほんま、今日も素晴らしい一日。

読んでいただき、

ありがとうございます。

引き続きよろしくおねがいします。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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