日記

自分はどんな人生を生きたかったのか 20230826

2023年8月26日

nabablog と申します。

土曜日の昼。今日も素晴らしい一日。

自分はどんな人生を生きたかったのか

土曜日の昼

いやー今週もやったよなー。

とか思って少し振り返ってみれば、

実際には一進一退なところもあるし、

合間でサボっていた部分もあるし、

一方で新しい人との出会いもあった。

まぁこれが平常運転。

もうちょっと改善できたところでもあるなぁ

という部分は見えているので、

その部分には今日からまた具体的な手をいれる。

これを繰り返していけば、

数年前とはいわず数ヶ月前の自分とは、

また違ったところにいるということもわかり切っている。

必要以上に悲観的になるでもなく、

必要以上に楽観的に短絡的になるでもなく、

なるべく軸や価値観というものを明確な基準として、

そういった意味でのバランス感覚を大切にしていく。

物事が良くなるも悪くなるも、

基本は時間がかかる。

だからそこはゆっくりじっくり構える。

時々ふとした瞬間に拾えるものがあったり、

急激に今までやってきたことが形になるってこともあったりする。

他人や環境に過度に期待せずに、

ただし、まだまだ人生は良くしていくけるってことを心において、

今日もやっていく。

このあとはBar Vaguelyが出店しているイベントに出かけてから、

BuddhaBarで週末バーテンダー。

楽しい週末になるね。

土曜日の昼。

自由に考えてものを言える環境

近々、サラリーマンとして勤めている会社の上司が転勤になる。

サラリーマンってホント大変だよね。

(まだ自分も一応サラリーマンとしての肩書がある)

ある意味では一方的に言い渡され、

自分のライフスタイルを変えることが強いられる。

そもそも「サラリーマンとして働く」ということは、

その企業や組織の理念やスタンスに共感をしている前提なので、

これについてブーブー言ったり、

そのグチを聴くというのはあまり好きではない。

ただし何も考えていない状態や、

「そうするしかない」ということでただただ我慢をする、

場合によっては自分が全く意図しない生き方をいなければならない、

なんてことはやっぱり避けたいところ。

今回の件でも上司が変わることで、

わたしのサラリーマンとしての仕事の進め方にも、

少なからず影響がでるはず(基本は変える気もないけどwww)

自分の分を果たすということに妥協をする気はないが、

やはりこういうことを体感していると、

もっと「自由に考えてものを言える環境を作っていくこと」が、

今の自分には必要と改めて思っている。

最近よく考えている

自分を取り巻いている、

前提や常識という呼び方をされているもの。

こういうものが視野を曇らせたり、

思考を鈍らせるということは、

覚えておいて損はない。

人生の多くは習慣や繰り返しで形成される。

けれどその習慣や繰り返しに全くの疑問を持たなくなると、

そこで変化や成長というものがなくなってくる。

教育や宗教というものがもたらしてくれる、

様々な指針や思考パターン。

こういうものがわたし達を豊かにしてくれている、

楽にしてくれているという反面、

そこにある変化や成長を妨げる要素には目を向ける必要があるよね。

たとえば

「良い教育を受けて、いい会社で勤め上げる」ということや、

「会社にいわれたから、ライフスタイルを変えなければいけない」ということ。

「社会的な責任を果たす」という大義名分は、

ときにしてあなたの人生を曇らている。

こんなことを最近よく考えている。

自分はどんな人生を生きたかったのか

もう一度というか、

一年の中でも一日の中でも考えてみると良いこと。

それは

「いろいろな前提を取っ払ったときに

本当に自分はどんな人生を生きたかったのか」

ということ。

これはいいテーマ。

これを考えるとたとえば「時間」だったり、

「お金」だったり、

自分が向き合うべき問題とそれをクリアにしていくための課題が見えてくる。

わたしはこう生きているよ

あなた(他者)にわたしが具体的にできることは、

正直なところそう多くはない。

それでもわたしにできることといえば、

「わたしはこうしていくよ」

「わたしはこう生きているよ」

「きっとあなたにもできると思うので、よろしければどうぞ」

という言葉ををかけることぐらい。

あなたをわたしが変えることはできない。

過去や今ある事実を変えることもできない。

わたしにできることは、

「わたしの今これからに具体的に働かきかけること」だけ。

そういう姿を表現しながら、

どこか何かのタイミングで、

あなたの機微に触れる部分があるのであれば、

そのときにはいっぱい飲みながらゆっくり話でもしたいと思っている。

もし「今日も素晴らしい一日だった」とあなたが心からいえるのであれば、

申し分ない。

きっとあなたの人生は素晴らしいものになるはず。

一方で、何か引っかかりがあったり、

取り払えない違和感のようなものがあるとすれば、

すこし立ち止まって

「自分はどんな人生を生きたかったのか」考えてみる時間を作ってみるのがいい。

読んでいただきありがとうございます。

今日もいい一日にしよう。

夜、時間がある方は一緒にBuddha Barで飲みましょう。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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