日記

気づけば多重事故 20240204

ナバブロと申します。

日曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

気づけば多重事故

日曜日の夜

何やら、

今週末も良い時間を過ごさせてもらった。

金曜日の夜は同僚と食事。

土曜日は昼から幼馴染の友人と、

ゆっくり話す時間があった。

そのあとは予定が変更になったりもしたけれど、

バンドの友人の結婚祝いということで駆けつけた。

今日の日曜も昨日の余韻から、

食事と買物と言う感じで、

良い時間を過ごした。

最近やっと、

周囲の人と向き合えるようになって来た感覚がある。

何が変わったということもないのだけれど、

強いて言えば自分が少しととのってきて、

相手の話を聴けるようになってきたのかなと思う。

相手の話を聴けるようになれば、

当然自分の感情も動く瞬間が増える。

それに相手の持っている問題や夢に向かう上での課題が見えてくれば、

それだけ提案をすることができる機会にも恵まれる。

自分が実現したいことなんていうのは、

そんなに難しいことではないのだけれど、

最近やっと「シンプルで楽しい人生」っていうのが、

より具体的にイメージできるようになってきたと感じる。

もう少し言えば

「わたしにも出来たのだから

 きっとあなたにだってできるはず」

というものを、

相手が受け取りやすい形で渡すことができるようになれば良いなと

思っている。

日曜日の夜。

人と向き合う

最近、特に友人との時間を大切にするようにしている。

できれば少人数かサシで話ができるといい。

なんとなーく過ごしていても、

複数の人間で会う機会には恵まれし、

それも当然充実した時間なのだけれど、

たとえばサシで友人とゆっくりした時間をすごすと、

これまた違った意味で有意義な時間を過ごすことができる。

たとえば会話や交わされる言葉。

沢山の人間が参加する飲み会と、

少人数で行う飲み会では、

そもそも飛び交うテーマが違ってくる。

これはイメージが出来ると思う。

会話や話題をふる上で、

なんとなーくその場にいる人間に気をつかうことになるので、

そこでの会話は、

その場にいる人間の「最大公約数的な会話」になる。

これは本当に最近良く実感していることで、

その場にいる人数が少なければ少ないほど(サシに近いほど)、

「最大公約数的な会話」とは逆で、

より「エッジの効いたコアな会話」ができるなぁ

と感じている。

前者と後者では、

やっぱりわたしは割と後者が好きで、

そういう機会を意識的に作っている。

ここのところのテーマの「人と向き合う」っていう話。

会話と会話の間

わたしに関していえば、

それなりにこういうシチュエーションには慣れているものの、

人によっては「サシ飲み」っていうのが、

少し精神的なプレッシャーを感じることもあるみたい。

特に「優しい人」「周囲に気を使う」人にとっては、

サシの状態で会話が途切れる瞬間や、

その時の空気が耐えられないというような話を、

聞くことも多い。

これもわたしもよく理解ができる。

理解ができるというのは「昔の自分はそうだったなー」ということなのだけれど、

「相手を退屈させたくない」というような思考が裏側では働きがち。

でも一方で自分に関していえば、

会話と会話の間の瞬間で、

「自分が会話の提供出来ないことでどうしよー」と考えることはあれど、

「相手はなんで話題を提供しないんや!」ということを考えることはないので、

それが分かってくると「まぁ少し黙って、ゆっくり考え事するくらいでもええんちゃう?」って感じで、

むしろ「会話と会話の間を少し楽しめる、味わえる」ようになって来た気もする。

これは「自称中二病」から少し抜け出せてきたのかな

なって思ったりしている(←自意識が高い。これこそ中二)

結構新鮮

会話という意味での「コミュニケーション」で、

悩む人が多いのも分かるけれど、

これも割と一般的な対処方法があって、

これは改めて整理してみると、

普段から役に立つのかも。

大体の人にとっては「当たり前」かもしれないけれど、

わたしにとっては結構新鮮だったりして、

今、まさに体得しようとしていること(大体の人が大人になる前に体得しているスキルかなw)なので、

少し言語化してみる。

相手が何をしてほしいのか察する

会話の際に意識するべきこと、

それは「相手が何をしてほしいのか察する」ということで、

大体の場合には対処ができる。

たとえば相手は

・ただただ話を聞いてほしいだけなのか

・共感を求めているのか

・同意を求めているのか

・意見を求めているのか

・アドバイスを求めているのか

こんなところ

これが分かるだけれでも、

コミュニケーションが苦手となんとなーく思っている人にとっては、

朗報になったりする。

もう少し言えば、

相手はあなたに対して「すごーく上手に面白い話をしてほしい」なんてことは、

あまり求めていない(100%ではないけど、ほとんどの場合)

これが分かるだけでも、

多分、人と向き合う際に感じるプレッシャーは少なくなっていく。

まずはこの視点を持つだけでいい。

あなたは次のデートの時までに「すべらない話」のネタ帳を

用意しなくてもいいってことが分かればOK

相手の話を聴くこと

ここまでを理解できたとして、

あなたがまずするべきことはこれ。

それは「相手の話を聴くこと」

「聴く」ことにおいても「テクニック」っていうのが紹介されていたりするので、

それを使いたくなるような気持ちは分かる。

けれど、相手と向き合うという時こそ「テクニック」とか考えず、

相手の言葉と様子に気を払う

ってことだけ意識すればいい。

結局はこれが一番、

相手との信頼関係を気づくには良い方法(だと、私は肌で感じている)

相手の話をしっかり聴くことができれば、

さっき書いたこと

・ただただ話を聞いてほしいだけなのか

・共感を求めているのか

・同意を求めているのか

・意見を求めているのか

・アドバイスを求めているのか

というのが分かってくる。

あとは会話の隙間を埋めるなんてことは考えず、

そこで相応しいと思うことを、

今のあなたの言葉で伝えるだけ。

気づけば多重事故

逆にいうと、

このプロセスをすっ飛ばして、

こちらが一方的に話をして「すべらない話」や

「アドバイス」(こちらの想像にもとづいた結局的はずれな…)を、

軽快に繰り出したところで、

正直なんにも生まれない。

生まれないというか、

気づけば多重事故に繋がっている…

なんてことをよく目にする(というか実体験済み)

会話はキャッチボールなんて言われるけれど、

まずは胸の前にグローブを構えて、

相手から球を投げてもらうのを、

一旦待ってみる。

時には自分が最初に球を持っている場合もあるので、

その時は「次に相手はどんな球をなげたいのかなー」なんてことを少しだけ考えて、

球を投げ始める(これにはやっぱり人生経験がいるのかもなぁ)

ただしこの気配りがあるだけでも、

多重事故が起こる確率は「グッ」と減らせることができる。

素の自分

このぐらいのことを軽くおさえておくだけで、

きっと人とゆっくり話をすることが、

ストレスではなく、

すごく楽しいものであることに気づくはず。

これであなたが楽しくなれば、

きっと相手もあなたと一緒にいる時間を「楽しい」と感じてくれる。

そうなれば、あとのおすすめは、

なるべく「素の自分」で相手とむきあうこと。

できれば「素の自分」が相手の話を聴けるようになって、

「素の自分」として、相手に対する気持ちは伝えながらも、

率直な言葉を渡すことができるようになれば、

きっとあなたの周りの人間関係というのは、

さらに心地の良いものになっていく。

これもわたしの実体験にもとづくもの。

何かとっぴょうしもないことではないし、

今日書いた内容なんかはごくごく一般的な話なので、

再現性は高い。

たとえば相手も自分も、

せっかく大切な時間を割いて時間を共有するわけだけだから、

その時間をより良いものにしていければ良いよね。

今日はこんなところで。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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