日記

幸せや不幸の定義 20240106

ナバブロと申します。

土曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

幸せや不幸の定義

土曜日の夜

金曜日の夜は友人と、

ゆっくり時間を過ごした。

最近起きたことの話をしたり、

これからの話をしたりした。

生きていると本当に信じられないことが起きることもある。

そして相手が持っている問題や課題に、

自分ができることは何かと考えたりする。

確かに自分が相手に提供できる価値があるはずなのに、

それを相手に伝えるということは、

想像以上に難しい。

テクニック的にいえば、

自分がなぜ今の状態にあるのか、

今、考えたり行動をしたりすることになったストーリーを伝えた上で、

相手が持っている問題や不安に、

具体的な提案をするというプロセスになる。

ただし、今、自分には明らかに超えられていない壁があって、

それは自分自身がどれだけの熱意をもって、

相手にわたしができることを伝えられるかということ。

これまでもいろいろなことを考えて、

自分なりのロジックや根拠を積み上げてきたわけだけれど、

それも結局は自分の小さい脳みそで考えたり、

小さい世界観にもとづいた発言や行動だとすると、

果たして今自分がいる場所が正しいのか、、、なんていう思いが湧き上がってきたりする。

本当に、相手そして自分が何を求めているのか。

どのような人生を生きたいと願っているか。

こういうことを掘り下げる熱意というのが、

わたしには少し欠如しているのかな、、、

なんてことを痛感している。

テクニックよりもまずは土台から、

積み上げて行く必要性が今の自分にはある。

結果を出すことが必要なのだけれど、

焦らずに、

ただし一つ一つ目の前の自分の課題を明確にして、

一つずつ取り崩していく。

本気を出していないってわけではなんだけれど、

まだまだ本気を出さなければいけないってことかな。

土曜日の夜。

相手の不安や問題を理解できない

2023年で本当によく実感したことがある。

それは「わたしがとても幸せな人間である」ということ。

ここでは生い立ちの話は省くけれど、

わたしは「とても幸せな人間だ」と、

胸を張っていうことができる。

そこには幼い頃からの環境や、

それ以降にも積み上げてきた実感があるのだけれど、

ここで一つの大きな問題が生じてくる。

それは「本当の意味で相手の不安や問題を理解できない」という問題だ。

これが、今のわたしにとっては大問題だ。

言い方を気にしないとすれば、

いろんな人と話をしたりしていると

平たくいうと「人ってそんなことで悩んだりするんだ」

ということを感じたりもする。

改めて文章にして認識することもあるのだけれど、

つまるところ自分はドライだし、

本当に愛がない人間なんだなという実感がそこにはある。

そして、

そんな感覚で生きている自分が、

どうして相手の不安に寄り添えるのだろうか

という考えに至る。

幸せや不幸の定義

きっと、

自分が今持っている幸せや不幸の定義を、

今一度見直す必要がある。

自分の幸せをひっくりかえすということではなくても、

少なくとも自分の幸せの形が、

相手にも当てはまるという考えは、

捨てなければいけない。

少なくともわたし以外の人間が、

どのように幸せや不幸をとらえているのかを、

理解する必要がある。

わたしの人生を振り返ってみると、

やはりこれまでの人生は、

他者に与えるということや価値提供をするということ、

こういったことと向き合う時間が極端に短かったのかなという気がしている。

ここのところの数年は、

自分の周囲にいる人間や出会う人と向き合うことで、

少しずつわたし自身にも変化が生まれているとは感じる。

自分が幸せになるということと

相手が幸せになるということの

ベクトルが同じであることが分かってきたし、

そういった人間関係の中で見つけることができる幸せのほうが、

二次関数的に幸せの総量が増えていくというのがわかってきた。

本当に相手に幸せになって欲しいと考えるのであれば、

それが何かということを理解する必要が、

今の自分にあるのだ。

悩みの8割はお金で解決できる

相手の幸せや不幸の定義を、

すべては理解できないとしても、

そこに寄り添う姿勢を大切にしていこうと思う。

その上でわたしにできる価値提供や、

提案をしていく。

わかりやすいことでいえば、

「悩みの8割はお金で解決できる」という話がある。

これを言葉や文字で表現すると、

アレルギー反応が起きる方も確かにいるのだけれど、

これは事実であり、

多くの人が言葉にしないまでも、

これまでの経験の中で感じ取っているはず。

だからこういった具体的なことから、

また始めていこうと考えている。

不格好だったり、

相手があまり直視したくない現実だとしても、

事実を事実として伝え、

そこに具体的な手当をしていくこと。

前提として、

わたしが普段付き合っている方々というのは、

わたしが好きな人で幸せになって欲しいと思っている人であるし、

そういう方々がもしも、

何か困っていることがあれば、

それに手を貸さないという手はわたしにはないのだ。

いいわけせずにやるだけ

今日はこういうことについて、

じっくり考えるいい機会になった。

もう一度、

自分がどんな人生を生きたいのか、

他者にどのようのな価値を提供していきたいのか。

提供してくべきなのか。

自分なりに整理をして落とし込んでいく。

なんとなーく自分の中でも

「フワッ」とさせていた部分もあるけれど、

もうそろそろ「ハッキリ」させなければいけない、

時期が来たということにもなるかな。

結果を出すには、

良い環境に身を置くことは大切なこと。

ただし、

いくら良い環境に身を置いたとしても、

本当に自分が変わりたいと願わなければ、

きっと一年後も自分はあまりかわらない場所にいる気がする。

これではやっぱりダメなんだよね。

限界を決めずにやってみる。

それが「突き抜ける」ということになるかはわからないけれど、

できない理由ではなく、

できる理由を見つけて実行していく。

これが大切。

やることはシンプル。

覚悟を決めて日々やるべきことを、

いいわけせずにやるだけだ。

まぁー楽ではないね。生きるのは。

それでも楽しくやろうよ。

本気の相手に対して、

自分も本気で返すことができるように。

備えていこう。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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