日記 7つの習慣

「個性主義」と「人格主義」 20240122

ナバブロと申します。

月曜日の夜。今日も素晴らしい一日。

「個性主義」と「人格主義」

月曜日の夜

今週も始まったねー。1月も終わるよー。

「はやー」とかも思うけれど今年だけを考えても、

もうすでにいろいろなことが起こってるし、

いろんな可能性も見えて来ているので、

またこのまま年末まで突っ走るんだろうなーと思っている。

月曜日の夜。

気づいたこと

気づいたことがある。

これもずーっと言われていたことで、

「あたりまえ」の部類に入るんだけれど、

やっぱり「実感として分かる」というのは「ただ知っている」のとはぜんぜん違う。

『7つの習慣』っていう本に書かれている

・個性主義

・人格主義

の話なんだけれど、

これが最近ようやく腹落ちした。

結果として、

わたしには沢山やるべきことがあると認識したし、

まだまだ変えて行く必要があるということに気づいた。

個性主義

「個性主義」というのは、

つまりは「生まれ持った性質、キャラを売りにする」ということだとわたしは理解している。

ここでいう「個性」とは、

あなたが生まれもった性質やキャラ

これまで置かれた状況の中で意図せず培われてきたもの。

あなたの周りにも、

個性的だったり、独自の世界観を持っていたり

「キャラがたってるよなー」って思う人がいるはず(あなた自身もそうだったりするかな)

そこにある「唯一無二」感。

元来のその人の固有の色があって、

誰にも真似ができないような部分。

昔と比較して現代は「個の時代」といわれる(ちょっと古いかな?)ように、

この要素がなんとなく重要視される時代をわたし達は生きている。

個性主義の場合、前提が「自分は自分」ってことなので、

「ありのままの自分でハマる環境や、合う人間関係を探る」という

行動パターンになる。

自分を変えることなく(そこに変化というストレスを与えることなく)

置き場所を変えて、

幸せを探っていくって感じ。

人格主義

一方「人格主義」というのは、

つまりは「人格を磨いていこうよ」ということだとわたしは理解している。

キーワードとなるのは、

たとえば「誠実、正直」「本質、美徳」「奉仕、貢献」「成長、可能性」「忍耐、養育、励まし」…といったところ。

個性主義でいう「ありのまま」「わがまま(自分勝手という意味ではなく「我がまま」の意味)」という状態にとどまるのではなく、

人生を有意義に過ごすための要素や原則(たとえば、さっき上げたキーワード)を理解し実践して、

文字通り「人格を磨く」ことを継続する。

これが人格主義。

大抵の場合、

わたし達は個性主義をベースに考えたり行動したりしている。

だから人格主義の考え方にふれた時に

「きれいごとじゃん」とか、

場合によっては「嘘くさい」と感じることすらある。

特に他者と向き合っているとき、

「言葉」と「行動」から二面性を感じた時なんかには、

シンプルに失望したりする(自分自身も反省すべきところが多々ある…笑)

人格主義において土台となるのは「原理原則」というもの。

このワードがいきなり飛び出すと、

宗教的なものとかスピリチュアルなものとかをイメージしやすいんだけれど、

たとえば人間が歴史の中で繰り返してきた失敗や成功の過程や傾向から、

学ぶ事ができる基礎となる思考や、

場合によってはノウハウと呼ばれるもの。

もしくは物理学や宇宙の話でいうところの「重力」みたいなイメージを持つといい。

「これやったら絶対失敗するし、人は不幸になるよね」とか

「これやったら成功に近づくし、人は幸せになるよね」とか

そういった行動の指針になるもの。

たとえば誠実で正直な人は、

はたからみると「損をしている」ように見えたり、

「割に合わない時間を過ごしている」ように見えたりもする場合もあるけれど、

結果として人に恵まれ、総じて幸せな人生を送っている姿をわたし達はよく見かける。

このようなテーマと真正面から向き合って、

ある意味個性主義とは真逆ともいえるアプローチで、

「感情」「その場の思いつき」ではなく「原理原則」にしたがって、

舵を切っていく。

その際には「ありのまま」「わがまま」とは、

違う方向へ舵を切ることが必要になる場合も多いので、

当然一時的にストレスを感じたりや壁にぶち当たる経験をすることになる。

それでもその取組をやめないこと。

これが人格主義に立つということ。

人格主義の場合

「これまでの自分を変えることも持さない覚悟を持つこと」

「これまでの自分の価値判断ではなく、原理原則にもとづいた一貫した判断をしていく」ということが、

行動パターンのベースにある。

なるべく簡単に書いたつもりだけれど(笑)、

「個性主義」と「人格主義」の概要と、

その違いについてイメージできただろうか。

わたしは何の努力もしていない

それで「わたしが気づいたこと」という、

冒頭の話しにもどるんだけれど(やっと!笑)

それは、

・まずわたしはとてつもなく「個性主義」の人生を歩んできた

・「人格主義」の実践には、いままので自分をマジで全取っ替えするくらいの覚悟が必要

ということ。

わたしは昔から「何もせずとも周囲の人間に恵まれ生きてきた」という事実と実感がある。

家族、友人、それ以外の人間関係を考えても

本当に幸せな毎日を送っている。

ただし、ここで気づくわけ。

「わたしは何の努力もしていない」

生まれ持った性質や育った環境で培われたキャラによって、

今の状況に身を置けていることは、

「個性主義の賜物(たまもの)」といえる。

これはこれで自分の両親やわたしに関わってくれている人に感謝しかないし、

ありがたいことではあるんだけれど、

これは見方を変えれば「生まれ持った貯金を食いつぶすような生き方をしている」って、

ことがいえるんだよね。

思い返せば、

そのような恵まれた状況にうぬぼれ、

周囲への感謝を忘れ調子に乗って、

人間関係が破綻しかけるということをこれまでも何回も経験してきた。

やっぱりここに「個性主義」の限界というのがあって、

わたしの大切な人たちの幸せや、

自分自身の幸せを考える上では、

やはり「人格主義」にもとづいて、

平たく言えば「日々、努力や鍛錬を継続する」ってことが必要ってことに気がついた。

「人格を磨く」っていうと、とてもたいそうなことのことに思えるけれど、

少しだけ解像度を上げるなら、

「相手の価値観を理解する努力をする」「人の役に立つ人になる」とか、

これも実は両親が何度も教えてくれたことだなーと思うし、

最近はこういうことから逃げずに、

正面から向き合うようにしている。

「個性主義」と「人格主義」

今日は概念的なことが中心だったけれど、

たとえばわたしが今日書いたことに気づく過程は、

日々の他者との関わり(たとえばこのブログで書いている日常)にあって、

この記事(しかもまぁまぁの長文!いつもありがとうございます!感謝)を

ここまで読んでくれるあなたであれば、

少しはイメージを持ってもらえたのではと想像する。

「個性主義」と「人格主義」

きっとあなたの人生や人間関係を考える上で、

活用できる部分も多くあるはず。

ちょっとだけ考えてみたり、

ググってみたりしていただければ…

と考えている。

きっと意味のある時間になる。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

-日記, 7つの習慣

© 2024 This is BLOG.