日記

自由と責任 20240502

ナバブロと申します。

木曜日の昼。今日も素晴らしい一日。

自由と責任

木曜日の昼

毎日「はい。これだけの時間を使っていいよ!」

って言われている状態が、

ここ一ヶ月くらいつづいている。

幸いにも、

「やるべきこと」というのは、

たくさんあるのでそういうことと、

楽しく向き合っている。

そんな中でも、

いろいろ考えることがあって、

こういうことを考える余地は、

本当に自分の人生には必要なんだなーと実感している。

木曜日の昼

自由と責任

こんなささいなことからも、

考えたり思いついたりすることがある。

「自由と責任はセット」といわれたりするけれど、

これが本当に身近なテーマなんだと感じる。

みんななんとなーく「自由になりたい」って、

思っていたりする。

少し具体的に書けば

「自由に使える時間がほしい」

「自由に使えるお金がほしい」

ってことだ。

だけれど「自由」ってことを口にするときに、

そのセットである「責任」ってことが、

少し取り残されている気がして(実際わたし自身もそうかも)

ふとこんなことを考えた。

サラリーマンとして生活「しない」のであれば

わたしでいうとこの先数ヶ月くらいは

「自由に使える時間」というのがある(諸事情でサラリーマンとして努めている会社を休職している)

これで「ハッピーじゃん」って話ではあるんだけれど、

さっきの「責任」って話がここででてくる。

すぐに思いつくことであれば、

「サラリーマンとして生活する」って決めるのであれば、

ある程度の責任や規則、仕組みというのを「会社」が提供してくれるって話になるので、

あとはそれに乗るだけってことになる。

サラリーマンをやめて独立することや、

別の生き方について考えている人も、

わたしの身の回りにも多けれど、

そういった生き方を選ぶならば「サラリーマンとして生活する」っていうことから考えると、

文字通り、思考を切り替えて行かなければいけないということが分かってくる。

サラリーマンとして生活「しない」のであれば、

・何時間寝て、何時におきてもいい

・与えられる目標やしばりというものはない

といったことの一方で、

・生活する資金については、自分で考えて手当をしなければいけない

・目標を明確に設定して、自分で計画を立て、それを実行していかなければ行けない

ということがあなたの目の前に、

顔をもたげてくる。

何があなたの幸せか

じゃあどれがいいのだろうねー

って話をすると、

それも個人の価値観になっていまうところ何だけれど、

シンプルに「何があなたの幸せか」ってことについて、

正直に向き合うことから始めるのがいいと思う。

サラリーマンとして生活するということで、

得られそうな「安定(とよばれるもの…)」があるとして、

それを得るのがあなたの幸せであれば、

その通りに人生の舵をきる(選択をする)べきであるし、

そうではない生き方をしたいのであれば、

その通りに取捨選択をしていくべきだ。

では今日、あなたはどうするべきか

ここ1ヶ月くらいこういった生活をしてみて、

自分の実感としては

・サラリーマンとして享受できる利益というのは確実にある。ある程度のレールに乗るということを、決断するだけで、ある意味のわずらわしさは取り払うことはできる。

と思い当たる一方で、

・やっぱり、最終敵にはわたしにはサラリーマンという生き方はあっていない。サラリーマンという生きよりも、自分の責任に基づいて、人生を決定していく感覚を得られる生き方のほうが、わたしにとっては幸福度が高い。

というのが明確になってきた。

「自由と責任はセット」

どうやらこれは事実であるらしい。

この変えられない事実をベースに、

「では今日、あなたはどうするべきか」

ってことを少し考えてみるもいいかも。

世間はGWということで、

少し時間を作ってこういうことについて、

考えてみるのがおすすめ。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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