日記

向き合う対象 20240528

2024年5月28日

ナバブロと申します。

月曜日の夜中。今日も素晴らしい一日。

向き合う対象

月曜日の夜中

日々、いろいろなテーマを

持ちながら生活することを意識する。

ストイックに生きると言うのは、

自分にはあまり向いていないというのはわかったので、

やりたいことだけ、

やるべきことだけ、

これをやり続けることを考えている。

その環境作りも、

割と佳境を迎えてきているような感じもある。

自然体でいたいねー。

「自分勝手」という意味ではなく、

ポジティブないい意味での「わがまま(我がまま)」に。

月曜日の夜中

向き合う対象

「向き合う対象」も整理、分類をしてみると、

そう多くはない。

・自分

・他者

・原理原則

これらでだいたいのことは分類できたりする。

自分と向き合う

「自分と向き合う」ということは、

改めていうべきことでもないかなーと、

最近よく思う。

何かを考え、判断し、行動するとき。

その軸にあるのはいつも「自分」という感覚が、

板についてきた気がしている。

いろいろな方とお話をしていると、

意外とこの部分で自分とは違う判断軸をもっている方々が多いようで、

良くも悪くも「自分以外のなにものか」からの評価や評判というものが影響をしているようだ。

冒頭にも書いたけれど、

・自然体でいるということ

・(良い意味で)我がままでいること

について、

少し解像度を上げて、

自分の中で整理をしておけばいいのかなと思うことがよくある。

平たく言えば、

他者の評価を気にしすぎて、

必要以上に自分を追い込んでしまっているような状況を、

これは本当によく目にする。

もっと楽に楽しく生きる方法があるということは、

自分自身の時間として、

目の前の相手に手渡すことができるかなと思っている。

他者と向き合う

「他者と向き合う」ということは、

ここまでの文脈からどういう風に表現するのかな?

って一瞬頭によぎる。

改めて書いておくとすれば、

「自分の軸を明確にすること」と「他者を蔑ろ(ないがいしろ)にする」ってことは、

全く別のことだ。

>「自分勝手」という意味ではなく、

>ポジティブないい意味での「わがまま(我がまま)」に。

と表現したのがまさにそれ。

他者と向き合う時、

相手の価値観に触れ、

その価値観が作り上げられるまでの話に耳を傾ける時、

そこで広がりを見せる世界には、

いつも感謝をしている。

多くの価値観に触れることで、

自分自身が持っている価値観は磨かれていく。

「同一」である必要はなく、

ただしそこで「一致」を見た時に、

これまで見えていたものとは、

まったく違う情景が目の前に広がる。

他者と向き合うということの素晴らしさの一つには、

こういったことがある。

それぞれがそれぞれの人生を生きている。

だからこそ、

自分が生きることができない時間を過ごしている他者と共有する時間や、

そこで積み重ねられる会話のひとつひとつには、

それこそわたしの人生の質を上げてくれるヒントが、

山程転がっている。

他者と向き合うということの意味が、

最近はこのくらい言語化できるくらいには、

わたしの中で大きいものになって来ている。

原理原則

「原理原則と向き合う」というのは、

ここ数年でわたしの人生に登場したテーマ。

宇宙を貫く法則や、

決して変えることができないもの、

「汎用的な普遍的なルール」とも言える。

物理現象や自然の法則然り、

人類の歴史や繰り返されてきた成功と失敗から学ぶことができる傾向みたいなものも、

「原理原則」と呼ばれるものには含まれる。

たとえば

「蒔いた種は、必ず刈り取らなければいけない」

ということは、

自然からわたしが学ぶことができる代表例だ。

(直感的、経験的に理解している方も多いハズ)

最近では特に「確率」や「物事が原則的なものや傾向に向かって収束していく」ということに、

結構興味が出てきてきたりしている。

麻雀や確率機のパチンコやスロットでもいいのだけれど、

こういったものからも、

学べることが意外に多いなーと、

楽しくなって来たりしてる。

「原理原則」のおもしろいことは、

当然ながら「わたしにはどうしようもない」ってことだ。

わたしには、

万有引力の法則を捻じ曲げることはできないし、

人間が持っている傾向や特性といったものを変えるということもできない。

ただしわたし達は、

その「原理原則」というのを知ることで、

それを活用するように生きることはできる。

「原理原則」に沿った生き方ともいえるし、

それにしたがって生きるともいえるかもしれない。

これまた冒頭に「自然体」ってワードを使ったりしたけれど、

「自然体」ってことが、

わたし達が人間本来の収まりのいい場所に収まるってことだとすると、

「原理原則」なんていう少し硬質な言葉と、

今の自分の身の回りで起きることや、

人生そのものとの接点というのが見える気もする。

「自然体でいる」って、

割というこうことかなーと思ってここのところ過ごしている。

やっぱり朝方に書く文章は、

軽く読み返してみても、

割と「ぐっ」と内面に入り込んだ、

抽象度の高いものになる傾向があるなー。

まぁわたしの日記なのでご勘弁を。

割とライトなテーマの記事も、

随時執筆していく。

現場からは以上です。

読んでいただきありがとうございます。

ピース。

世界平和。

ではまた。

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